シリコンバレーの大学生日記

シリコンバレーのカレッジに2016年秋に入学し、2年後カリフォルニア大学へ編入する留学日記で…。したが、なぜかオランダのLeiden Universityに2018秋に入学することになり最近は弁護士になりたい私のジャーニー記録です。Twitter @Japan__America

日本語がまじで話せなくなってきた・・・

 

 

留学あるあるですが、最近まじで更に日本語が下手くそになっている・・・

 

 

というと、

 

「たかが留学3年目で日本語忘れるわけないやろ」

 

という人もたくさんいると思います。でもそういう人は留学してみるとまじでわかります。習慣というものが私たちの行動にものすごく深く関わっていて、やはり同じ新しい習慣に慣れてしまうと元に戻るのは大変なのです・・・

 

これは言語だけに限らず、食べ物も何もかもそうです。

 

 

し!か!も!!

 

考えてみてください。

 

私がとってる授業はもちろんすべて英語なので、勉強内容を話すときにいちいち翻訳して日本語で話さないといけないんですが、専門用語は日本語でも知らなくて英語でしか習ってないから翻訳できない!!!のです。

 

例えば、Dualism over nature and cultureだと自然と文化の二元論?みたいな?でもここでのCultureって文化としてのCultureでなく、人間の創造物で自然の反対としてとられるCultureなんですよ。だから文明の方が正しいのかな?みたいな。

 

しかも二元論という言葉を日本語で知らなかったらもうDualismはDualismだよ・・・そう習ったもん・・・としか言えないわけです・・・

 

 

そして日本の友達などと日常会話を超えた恋愛やアカデミックの話をするともう日本語が出てこなくて本当に拙い日本語になる。。。特に何かを説明してる時、日本語の単語が出てこなさすぎて、「だからこの理論とこの理論はcontradiction.....って日本語でなんだっけ。。。」みたいな。だからいちいち変な遠回しの日本語を使ってしまう・・・・これ本当に深刻な問題です・・・

 

私日本で就職でもすることになったらどうすんだろうって感じです・・・

 

 

だから英語と日本語をごちゃ混ぜで適当に口まででてきたものを話せる友達ってまじで大事!!これのせいで日本語が下手になってる説あるけど、日本ってこの留学生日本語下手になる現象に厳しくないですか?

 

留学して日本語が拙くなるやつはそもそも英語も話せない!

 

だの、なんだの・・・

 

 

いや、人間は習慣に行動パターンを決められているのだよ、、、と言いたい、、、、

 

 

アメリカにいた時はそれなりに日本人周りにいたから会話能力はまだましだったけど、オランダ本当に日本語話す機会なくなって伝える力がどんどん低下してきてる・・・・

 

 

ブログとかツイッターで書くことはしてるし、漢字はほぼ忘れてないんだけど、喋りが本当やばい。

 

 

書くと思考が整理されるし、整理されてないと文章化できないし。だからなんなら日本人とは全員筆談をしたい。そうしたら私の言いたいこと伝わると思うし・・・・

 

 

そんな真剣な悩みでした・・・・・

 

 

日本に帰ったらまた色々言われるでしょうがもうしょうがないし、それは人間の行動学によるものなので・・ということにしましょう。

 

 

留学生の独り言でした・・・

合格した私のカリフォルニア大学出願エッセイ

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来週ミッドタームで今忙しいので長くならない程度にチャチャっと私がUCアプリケーションのパーソナルステートメントで何を書いたか

紹介したいと思います!

 

 

まず私が選んだ四つの質問はこちらです。

 

 Please describe how you have prepared for your intended major, including your readiness to succeed in your upper-division courses once you enroll at the university.

 

 Describe an example of your leadership experience in which you have positively influenced others, helped resolve disputes, or contributed to group efforts over time.

 

③ What have you done to make your school or your community a better place?

 

④ Beyond what has already been shared in your application, what do you believe makes you stand out as a strong candidate for admissions to the University of California?

 

 

 

んで答えたことはざっくりと説明すると、

 

 Please describe how you have prepared for your intended major, including your readiness to succeed in your upper-division courses once you enroll at the university.

 

高校の時になぜ文系の教科は好きで全部できるし、学生団体運営やビジコンなどもしてるのに、ここまで理系教科ができなかったりイメージ通りの完璧になれないのかということに悩んでいた。そこで長らく考えた結果、そもそも個人はその人の環境やバックグラウンドによって能力や育ち方が決まってもはや自由意志というのは存在しないのではないか?という疑問を持った。そこから哲学に興味を持ち始め、コミカレでは哲学の授業をできるだけたくさん取った。その中でも倫理学と論理学にとても興味をもち、さらに深くを探求するべく、夏にカリフォルニア大学バークレー校で論理学の授業をとり、良い成績を納めた。私が哲学を学ぶことは自分が興味があるだけではなく、将来の目標とマッチしているので、哲学以外に私が専攻したい学部はない。

 

 

 Describe an example of your leadership experience in which you have positively influenced others, helped resolve disputes, or contributed to group efforts over time.

 

私はリーダーというものは【全てを完璧にこなし、他のメンバーから憧れられる存在だ。】と、自分自身が学生団体を立ち上げリーダーになるまで思っていた。私は高校一年生の時にイベント企画系の学生団体を立ち上げ高校三年生になるまでやっていた。そこで学んだのは【リーダーというものはむしろ何もしないでいる存在なのだ】ということ。というのは、リーダーというのはバランスを保つことにフォーカスしなければならないので全てをこなしてしまっては他のメンバーのやることがない。そうなればメンバーがそこにいる意味もなくなってしまうので、みんなついてこなくなってしまう。リーダがむしろするべきことは、全員に仕事を分担し責任を持たせることで達成した時に【やった感、次へのモチベーション】に繋がり、これを繰り返していくことでチームとしての能力が上がっていく。そしてリーダーはメンバーが困った時には絶対に助けることでそこに信頼が生まれる。このようなことは実体験なしには考えられなかったことだ。この高校生団体は今年五代目に引き継がれ、毎年実績を積み続けている。

 

 

③ What have you done to make your school or your community a better place?

 

私は高校生の時学園祭実行委員長をやっていた。私の学校はとても大きい学校で、学園祭はほぼ生徒が運営していた。ここで実行委員長の私と執行部の十人ほどのチームでどうしたら従来とは全く違ったイノベーションを学園祭に持ってこられるか、ということにフォーカスして新しい策を練っていた。しかし、イノベーションとは聞こえが良いが、そんな意気込みも虚しく、私たちは【今ここにあるすべてのものには理由がある】ということに気がついた。そう、私たちがパッと考えられることなど過去の人たちも考えたに違いなく、それができない理由があるからこの学園祭がこのままに止まっているのだ、と。しかし私たちは諦めなかった。そこで私たちはそこにある問題点をすべてリストアップして面白い形で解決できそうなものを探した。私たちの学校はコースが分かれていてコース間の交流が少ない。そして大きい目玉イベントもなく、前庭が空っぽであるのが寂しいという三つの問題から一つのイベントを思いついた。それは学園祭のパンフレットのはじに赤と黒で色分けした番号を配布前に私たちで書き、当日に全校生徒が同じ番号を持つ異性を見つけて前庭の抽選会場にて2人でくじ引きをする。というものだった。このイベントにより問題はすべて解決され、良いフィードバックももらい、その後もこのイベントは引き継がれたそうだ。

 

 

④ Beyond what has already been shared in your application, what do you believe makes you stand out as a strong candidate for admissions to the University of California?

 

 疲れてきたので、笑。これはSNSのことについて書きました。特にブログ。どのくらいの読者がいるかや、記事の内容など。文字や媒体にすることでただの思い出が【経験】として自分の中に落とし込むことができる的なことを言いたかった感じですね〜

 

実際のエッセイの締めはこんな感じ。

 

I have been offering information not only for viewers but also for myself. I believe the things you have done stays a memory and does not become an experience unless you make it into some kind of recordable form since forming requires thinking and reflection. I can continue doing these social media accounts because it is both for other people and for myself. What makes me stand out as a strong candidate for admissions to the University of California is the ability that I have to transform my memories into experiences that I will be able to share forever, and help people with the experiences that I have created.

 

 

 

ライデン大学のはこれをぎゅっと滑らかに書き換えた2ページのシングルスペースのエッセイです!結構違うけどそれは載せることできないので!

 

 

ではこんな感じで!

 

 

さいなら〜

 

 

海外大学生のカバンの中身

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こんばんは!

 

なんとなく気が向いたのでカバンの中身を紹介したいと思います〜

 

 

これが多いのか少ないのか全くわかりませんがとりあえずカバンは重いですね。あとは時々リップとかパスポートとか食べ物とか入ってます!

 

 

そして中身はこちら〜

 

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Macbook:これはノートテイキングからリーディングから課題から何から何までラップトップがないと何もできない!全てこれひとつで勉強してます!

 

H&Mの安い水筒:H&Mでセールになってた安いスポーツ用の水筒なんですが、これを毎日使わないと飲み物代はバカにならないので・・・

 

③お財布: 基本カードなのでキャッシュは2ユーロくらいしか入ってないですが、中には在住カードや保険のカードやデビットカードを含めた重要なものがたくさん

 

④ 目薬:ロートZは必須で、日本に帰った時にまとめ買いしてちょこちょこ使ってます〜

 

⑤ ベルシュカのスケジュール帳:毎日のやることやプランは細かく決めなければいられないのでスケジュールというより勉強の整理帳という感じですね!

 

サモトラケのニケのフォルダー:これはルーヴル美術館で買ったやつなんですが古代と近代の美術史が大好きなのでお気に入りです〜

 

⑦ 定規とペン:定規は時々使って、ペンも時々使うので

 

⑧ サングラス:自転車乗ってる時に眩しいので晴れてる日はほぼ使いますね

 

⑨ メガネ:これはブルーライトカットなんですが、ラップトップで長時間全てをこなす毎日では目が死亡するので夜勉強してる時や授業中などにかけるようにしています!

 

本は全部パソコンで電子書籍を使ってるのでないですし、ノートも使ってないのでその分は軽いのかな?

 

 

 

こんな感じですかね!あとは付箋もいつも入ってますね!そういえば!リマインダーとしてそこら中にペタペタ貼り付けてるので。

 

そんでリュックは私の服装に合わないのでこのバッグ使ってるんですが、重くて肩がめっちゃ凝る・・・・が、オランダ人結構みんなおしゃれで私も身なりをきちんとしないとというプレッシャーがあるのでこのバッグを使い続けます・・・

 

ま、いいや、今日はこの辺で!

 

アディオース!

 

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人生山あり谷あり。

 

オランダに留学し始めてからずーっと感じていることなんですが、

 

私たち、というか少なくとも、私が「努力をすれば報われる」ということを信じ続けられてるのが本当に幸せなことだなあ、と思うんです。

 

私のモットーの「人事を尽くして天命を待つ」のように、結局最後の決め手はその時の周りの環境だったり、自分の心理状況だったり、体調だったり、相手の気分だったりで、結局全て運なんですよね。

 

私は努力をしたのかもしれないけど、これまでそれなりの運を持ってここまでこれた。

 

 

 

みんな悩みを持ってるし、それが小さなことに見えてもその人にとったら重大なことかもしれない。そしてみんなそんな中で頑張って生きている。

 

そして私は今まで大体想像したような結果を手にすることができていたため、努力をすれば報われるということを信じてこれまで生きれてきた。

 

 

でも世の中には身体の不自由、人種、性別、階級など様々な ”アンラッキー” を生まれ持った人々がたくさんいる。人間関係でアンラッキーを引く人もいる。そんな状況下でたくさん努力したのに成功できない人なんてたくさんいる。むしろ成功できない(自分の理想通り行かない)人の方が多い。

 

不平等と理不尽が極まった混沌とした世界だよね。

 

 

こう考えるともはや誰が優れてるか誰が劣っているかということは存在しない。結局は全て運なのだから。

 

私はこの考え方をし始めたら地位や名声への興味も恐怖も無くなった。前までは「ハーバード行ったんだ!すごすぎる!」というスタンスだったけど今は「ハーバード行ったんだ!よかったね!」というスタンスになり自分と比べるとかではなく純粋にその人の努力が運と結びついてよかったなという相手への喜びに変わった。

 

 

ちょっと話が逸れたけど、そんな運に振り回される人生でも、やっぱり努力は運を最大限にする。努力をすれば運はいい方向にいく確率が高くなる。だからこんな世界でも悲観せずに努力をするべきだ。

 

 

そして私たちが少しでも幸せに生きるためにはこういった絶望の現実(世界は不平等で理不尽だということ)を理解した上で、理想を追うのがベストだと思う。理想を追うことで成長することができ、現実を理解することで最善を尽くして失敗した時でも「これは運のせいで私のせいではない」と思える。

 

これはなんでもそうだと思う。なにせ運のパワーは強い。

 

 

そしてどんなに成功しているように見える人でも山や谷はもちろんあるし、ずーっと登り道を進め続ける人間が存在できるほどこの世界は甘くない。そして今が谷であっても絶対に山が来る。ずーっと谷である人間が存在できるほどこの世界は残酷ではない。

 

もしずっと谷であるならばそれは現実だけ見て理想を追っていないということ。

 

 

 

 

この世に、世界をコントロールする神的なものが存在するのだとしたら、それは運という概念だと思う。

 

それは神みたいに一つの絶対的存在なのではなく、この地球を包含してる霧のような存在。そしてそれは宇宙にまで及ぶ。限りのない何処までも及ぶこの偶然、混沌のなんらかの力こそが、この世をコントロールしていると。

 

それを古代の中国の人たちは天命と呼んだのではないかなと思う。

 

 

なので結論は、

 

残酷な現実を受け止めつつも理想を追って努力し運を最大限に引き出すことで幸せに近づけるのではないか。

 

ということです。

 

ではそろそろ授業へいってきます!

猫は後悔するか?

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高校の時に読んで私が哲学に興味を持つきっかけとなった評論文はたくさんあります。

 

そのうちの一つが野矢茂樹さんの「猫は後悔するか」です。

 

 

猫って性格的にものんびり生きてて別に後悔しなさそうですよね。笑

 

 

でもこの評論文ではそんなことではなくなぜ猫は後悔しないのかについてが論理的に、哲学的に書いてあります。

 

 

そもそも私たちが後悔するのは起こらなかったことを想像できるから

 

 

例えばアメリカに留学しないかするかで迷って、結局留学しなかったとしましょう。その時に、留学することを選択できたなという、現実とは反する選択肢を想像できますよね?そして留学するという選択肢を選ばなかったことに”後悔”という形で現実に反することに思いを馳せることができますよね。

 

私たちがこういう想像をできるのは何故なんでしょう?私たちが遭遇するものは現実世界に起こったことだけなのに、何故起こらなかった”可能性”の世界について考えられるのでしょうか?

 

 

 

言語というのはただの意思疎通のツールではなく、この世界を分解するツールでもあるのです。

 

例えばビールがテーブルの上においてあった時、当たり前ながら私たちは「テーブルの上にビールがおいてある」と認識することができます。しかしそれは私たちが言語を持っているから可能なこと。もし「ビール」や「テーブル」に名前がなかったとするとそれはテーブル+ビールの一つのものになってしまいます。

 

そうして考えていくと、もしこの世界に言語が存在しなかったら世界中の全てのものがすべてくっついた「一つのモノ」ということになってしまいますよね。なので言語はこの世界のモノを分解するツールであると言えます。

 

 

さらにその言語も文章にした時に文節ごとに区切られなければならない。

 

というのは、「テーブルの / 上に / ビールが / ある」と区切られていることによって、一つの言葉を他の言葉に変えることができます。というのは、「テーブルの / 上に / ビールが / ある」のビールをヘッドホンに変えた時「テーブルの / 上に / ヘッドホンが / ある」と説明することができますよね。さらには「テーブルの / 上に / ビールが / ない」という全く反対のことも、実際にビールがあるのに考えられます。

 

これはさっきの留学する / しないのことのように、私たちは目の前の現実とは反することを考えることが言語によって可能になっているということです。

 

これより私たちは分解された世界を認識しているだけではなく、可能性を想像することができるという能力を言語によってもたらされているというわけです!

 

 

すなわち、言語が文節化されていることによってこの世界を分解できるのが人間であり、それができない動物はこの世界の分解も可能性の想像もできないということ!

 

なので可能性の想像ができなければ後悔もできない。という流れな訳です。

 

 

だから猫は水をひっくり返してしまって飲めなくても、「ひっくり返さないで飲めた」という、”現実には起こらなかったこと”を考えることができないので後悔はできないという!

 

 

これ初めて読んだときは衝撃でしたね。うおおおおおおおおおおおおおおおみたいな感じが脳みそを駆け巡りました。まあ猫がそんな言語を持っていないと言い切ることはできませんがね。。。

 

 

この他にも鷲田清一さんのモードの視線や夏目漱石夢十夜などもう高校生の私に革命を起こしまくった人たちもたくさんいるので今日みたいに時間があって気が向いたら書きたいと思います〜

 

 

では!