選択肢が多いことは幸せなのかな??
こんばんちゃっす!
今日はもう充実した休日でしたよ〜あ、なんかラップ作れそうこれで。
お昼にメルカリのアメリカ版を担当してる人と会ってお話ししたんですが、めちゃくちゃ楽しかった……
わたしめっちゃにこにこ?にやにや?しながら話してた気がする……
こーんな語彙力のない、わたしのつまらない話を聞いてくれて、そこから色々話したのがもう……大人の人好きだわ…ってなった👮🏻
すっごく興味深い話をしたのでシェアしますねちょっとだけ!あとはわたしの中にとっておく!
昨日ちょっと発展途上国は幸せなのか的な感じで触れたんですが『選択肢がたくさんあることは幸せなのか?可能性がたくさんあることは幸せなのか?』っていうのがとても面白くて。
人間って見えない方が幸せだったり知らない方が幸せだったりすることってあるじゃないですか。
例えば自分1人で頑張って満足してればいいのに他の人見るとそのギャップに驚いて今のままじゃ満足できなくなったり、
カンボジアでチャリ乗って適当に過ごしてるおっちゃんはそれはそれで幸せな人生だろうけど、例えばその人がシリコンバレーで成功する!っていう目標を掲げたときに絶対にその人には無理だから、そのギャップに苦しんだり。そんな目標とか高みを目指さなければ幸せなのに。
人間的にレベルアップはするけど、幸せかを考えたときに必ずしもそうではないのかも、と。
でも人間だから他と比べないことはできないし、必然的に目標とかを掲げちゃうのかもしれないけど、それがものすごく遠い目標だと苦しくなると思う。幸せ感が減ると思う。
小さな目標を細々とこなしていくのは自信にも達成感にも繋がるしとってもいいと思うけど、トップをめざす!とか、それこそ日本経済みたいにアジアでのトップ地位を守る!とか。
それって苦しいことだよ。トップとかいう抽象的なことのために。なんのメリットもない。
しかも経済成長率は人口が多い方が伸び率が高くなるっていう算出法らしいから、中国が日本を抜くのは当たり前だし、あと何年かでインドにも越されるらしいけどそんなランキングにこだわるのバカらしくない?
話しそれたけど、わたしは高校の時ふと思ったことがあった。
イチゴ、チョコ、バニラしか売ってないアイス屋さんと、サーティワンだったらどっちにいくかと聞かれたら、
当然みなさんサーティワンって答えますよね?
でも実際サーティワンは選択肢が多すぎて迷う無駄な時間もあるし、それでやっと決めても後で『あーあの味食べればよかったかも』って後悔したりする時あると思うんですよ。
そしたらもしかしたらイチゴ、チョコ、バニラっていう選択肢の方が幸せなのかもしれない。って。
まあ、サーティワンはその分『あ、じゃあ次に食べるか!』ってなるんですけど、人生はたくさんの選択肢を試すほど時間もないし、年齢を重ねていくにつれ責任から自由がほぼなくなる。
だからほぼ一回限りのフレーバー選択で選択肢がたくさんあったり可能性がたくさんあることとかはむしろ少なからず不幸せを生み出してるんじゃないかなーと。
だってサーティワンを知らなくて、イチゴチョコバニラだけだったら後悔はほぼないでしょ?
視野を広げるからこそ無限に高みを目指し続けて新しいものを欲していくんだと思う。
まあでもそれがプラスに働く人もいるし、実際わたしは苦しむことで人に優しくなれると思ってるからいいんだけど、みんながみんなそれを強要される社会は違うと思う。
成功や最高や広い視野を強要される社会はほとんどの人にとって不幸せだなーと思った。
そんな感じのことを話したり、こっちでの生活や、こっちでよく使われてるサービスとかそんな話をしてほんと楽しかった!
やっぱ考えること大好きだわたし
趣味は考えることって堂々と言えるし、哲学専攻してることに誇りを持ってる。
そしてアートの復習とかジオグラフィーの復習とかして、ちょっとヒューマニティーのエッセイ書き始めて、本読んで帰りました!
お家で夜ご飯に讃岐風うどんを食べよーとしたら友達から電話かかってきて、
ボバ飲みいこ!!そしてみんなでバスケしよ!!って言われたので行ってきた!
バスケちょーーーーたのしかった!!
定期的にやるやつだわこれは。
今日は良き日でした。とっても楽しかった。
明日はアメリカ人の友達とペーパーのためにスタンフォードの美術館行ってきます!
ではでは〜