就活中の大学生と話して感じたこと:コミュニケーションとは
こんちゃ!
昨日の夜就活中のお姉ちゃんと1時間半くらいずーっとライン通話で話したんですが、なんか色々と考えたことがあります。
言葉と伝えることの重要性についてです。
最近はお姉ちゃんの就活の面接などの話を聞くに当たって「コミュニケーションとは」ということについてよく考えます。
ところでコミュ障などのコミュニケーションってなんでしょう?
その場にすぐ溶けこめる話術?おしゃべり具合?
現代ではこういう意味合いで使われてると思いますが実際のコミュニケーション能力というのは完全に「伝えられる力」に尽きると思います。
え?あたり前じゃない?と思う人も多いかもしれませんが伝えるということは実際とても難しいことなのです。
そもそも私たちは一人一人育ってきた環境も、触れ合ってきた人々も、何もかもが違います。もちろん。そして言葉の理解や使い方はそれらの経験に基づいて理解して使っているものなので、コミュニケーションが成り立っていること自体が不思議といえば不思議なことなのです。
自分の感情を他の人に共有したりすることは、できてるつもりでいて実はとても難しいです。なぜならば特定のものに特定の感情を抱くのは、今までの自分の環境や経験などの積み重ねの上でそういう回路に至っているので、同じバックグラウンドのない人にはそれがなぜ感動するかがわからない場合があるからです。
思考レベルで差異があるのにそれをさらに言葉などの媒体を介して伝えようとした時に、困難を極めるのは当然のことですよね。笑
しかし伝えなければ何も始まらない。コミュニケーションなしに生きて行くことは100%無理です。
就活に直面している大学三年生四年生は伝えるということについて色々と考えていることでしょう。
経験は文章化して可視化させない限り、ただのいい思い出のままです。その時はいい経験だと思ってもその時感じたことはただのアイディア的な短期的なものでしかなく、文章化して思考を整理しないと「経験」として自分形成の一部にまで落ちてこないのです。
これは伝える以前の問題です。
そして伝える段階になった時、全くの他人にその自分にしか考えられない思考回路(自分の積み重ねてきたバックグラウンドがあるからこその思考回路)を伝えるためには日本語力が重要になってきます。
言語というものは、自分の感性や価値観や思考回路といった形のないほわっとしたものをそのまんま届けるための媒体ですよね。
だからそれを届けるに長けている人たちは文豪と呼ばれる。
私が夏目漱石に言葉にできないほど感動したのは、彼の感性をそのまま取り出して私の心の中にスポっと入れられたような言葉の巧みさがあったからです。
彼の感性や価値観を共有した気になったからです。
それって上記で話したとてつもなく難しい個々人の壁を乗り越えて、私に時代の壁をも伝わったということですよね。
いや、伝える力がすごい。
どんなに素晴らしいことを考えたり経験したりしても、それが相手に伝わらなければ所詮自己満のものに成り下がってしまう。
伝えるトレーニングをするためにも、行動 → 文章化 → 発信 っていうことを繰り返していく必要があるのだなーと深く感じました。
では今日はこんなところで!
もっと書きたいことたくさんあったんですが、私も考えを形にするトレーニングがまだまだ足りないので、こんなかんじになっちゃいました。笑
まあ、備忘録だったり、発信プロセスの一環だったり、留学したい後輩ちゃん達への情報提供だったりでこのブログもしているのでゆるーく付き合っていただけると嬉しいです〜
ではでは!