読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

シリコンバレーの大学生日記

シリコンバレーのコミカレに2016年秋に入学し、2年後カリフォルニア大学への編入を目指す留学日記です。Twitter @Japan__America / Insta @ugg_pipipi

愛ってなんなのかな

 

 

 

こんばんは。バタバタしてて更新途切れてました。そしてやっと春休みに入りました!春休みはのんびり彼氏と過ごします。

 

 

さて、早速本題に入ると、私はこっちに来てからずっと思っていることがあります。

 

 

愛って、家族愛ってなんだろう。っていうことです。

 

 

 

実際私は両親が仕事で忙しすぎたためスーパー放任主義の家庭でほぼ祖父母に育てられました。小学校1年生の頃から長期休みはアメリカにお姉ちゃんと一緒にずっと短期留学に行っていて、家族とまともに旅行に行ったのは2回とかだったと思います。

 

そんなこんなで私はこっちに来てから一回も両親を恋しく思ったことがありません。

 

 

他の友達やルームメイトとかが家族と通話してるのを見て、恋しく思わないことはおかしいのかなって何回も真剣に考えました。

 

実際私の両親は私に電話をかけてきません。パパにいたっては一回もかけてきませんね。

 

別に目に見えるものだけが愛を感じられるとは思いませんけど、思いは最低限形にしないと相手には伝わらないのでいくら愛があったとしても私は感じたことはほぼありません。

 

 

でもお金をかけてもらってるから愛があるに違いない。って思ったんですけど、必ずしも 愛=かけてもらったお金 ではないなと。留学させてもらえてるのは本当に感謝でしかないですし、幸せなんだと思います。他の人に比べたら。大学留学を決意する/できるような環境にも本当に感謝しています。でもだからと言ってそれが愛だとは限らないと思うんですよ。留学したくてもできない人から見たら本当に贅沢だと思われるかもしれませんが、誰かの絶対的な存在であるっていうことを感じられないのはアイデンティティー的にも苦しむところがあります。

 

留学も一つの投資だと思えば愛なんかではないですよね。

 

 

それにもしかしたら、私が勝手に不幸だと思ってる「地元で一生を終える人」とかの方が幸福度的には高いのかもしれません。サーティーワンで選択肢がたくさんあって他人のアイスを見て他のを選ばなかったことを後悔したりするより、三種類だけのアイス屋さんで三色アイスを買う方が満足度的には高いのかもしれません。

 

 

選択肢がないことはもしかしたら幸せなのかもしれません。

 

 

でもこれは選択肢があったからこそ言えることで、なかったらなかったで文句をいうと思います。人間ってなんでもっとシンプルになれないんですかね。

 

 

でも私は思いました。

 

 

家族だから無条件に愛さなきゃいけない、とか、家族だからいつも気にかけていなければならないってっていうのがそもそも間違ってるんじゃないかな、と。

 

 

家族っていうのは物理的、生物学的に家族になったわけであって、命を生み出すと決めた責任をお金として子供にかけなきゃいけないわけで、そこに愛を押し付けるのがそもそも違うのかも、って思いました。

 

 

確かにほとんどの家庭では家族愛はこんなことを考える間もなくあるのかもしれないけど、家族愛があんまりないことに疑問を感じる必要はないのかなって。

 

 

両親は好きです、多分。ビジネス面では完璧に尊敬してますし、両親なので多分好きです。でも愛だとかそういうのはわからないです。死んだらめちゃくちゃ悲しいです。だって一緒に長く暮らしてたから。でもこれが一緒に暮らしてなかったらって思うと多分友達が死んだのと同じくらい衝撃なのかなーって思ってます。

 

 

 

ひどいことを言っているように感じる人もいるかと思いますが、これは真剣な私の思いです。

 

両親だから子供を愛してるに決まってるじゃん!今からわかるよ!って思う人は、家族は無条件に愛さなければならないバイアスにかかっていると思います。

 

 

 

思い出の分だけ失った時の悲しさは深いっていうのはなんだか物理的な当たり前なことな気がするんですよ。家族じゃなくたって人と同じ時間を過ごせばその人を失った時のダメージは深いじゃないですか。

 

 

じゃあ愛ってなんだろう。目に見えるものの他に愛を感じられることってなんだろう。

 

 

よく「愛とは目に見えないもの」とか言うけど、言語以外で、目に見えなくてどうやって伝わるんだって思います。受け取り手がそれを感じられないとただの一方的な愛になってしまって、意味がない気がします。

 

 

気持ちだって愛だって一緒で、そこにあったとしても相手に伝わらなければ無いも同然ですよ。

 

 

家族である前に全くの別の人間なのですから、私は両親のことを何も知らないだろうし、両親も私のことを何も知らない。

 

 

そこを埋めようとしても、2人は私に興味を向ける暇がないくらい忙しいのでその距離を保ったまんまこれからも過ごしていくのかなと思うと、私たちが家族である意味と理由って、生物学的理由以外に何があるだろう。って真剣に考えてしまいます。

 

 

意味なんて必要ないっていうのは逃げです。私たち人間はすべてのものに意味があると思い込んでいますが、実際はただ私たちが意味づけをしているだけです。意味づけをすることによって安心するのです。

 

 

 

こんなことを書きましたが、私は今の生活や自分に満足していますし、幸せです。家族愛がないからといって幸せではないというのは極端すぎますし、他の誰かの絶対的存在になって、自分という存在を安定させればいいのです。

 

 

おじいちゃんとお姉ちゃんは過ごした時間が長いのでなのか、恋しく思います。他のたくさんの人はこれを両親とか友達にも感じてるのかと思うとうらやましいですね。

 

 

以上ただの19歳の感情保存のための備忘録でした。