人生山あり谷あり。
オランダに留学し始めてからずーっと感じていることなんですが、
私たち、というか少なくとも、私が「努力をすれば報われる」ということを信じ続けられてるのが本当に幸せなことだなあ、と思うんです。
私のモットーの「人事を尽くして天命を待つ」のように、結局最後の決め手はその時の周りの環境だったり、自分の心理状況だったり、体調だったり、相手の気分だったりで、結局全て運なんですよね。
私は努力をしたのかもしれないけど、これまでそれなりの運を持ってここまでこれた。
みんな悩みを持ってるし、それが小さなことに見えてもその人にとったら重大なことかもしれない。そしてみんなそんな中で頑張って生きている。
そして私は今まで大体想像したような結果を手にすることができていたため、努力をすれば報われるということを信じてこれまで生きれてきた。
でも世の中には身体の不自由、人種、性別、階級など様々な ”アンラッキー” を生まれ持った人々がたくさんいる。人間関係でアンラッキーを引く人もいる。そんな状況下でたくさん努力したのに成功できない人なんてたくさんいる。むしろ成功できない(自分の理想通り行かない)人の方が多い。
不平等と理不尽が極まった混沌とした世界だよね。
こう考えるともはや誰が優れてるか誰が劣っているかということは存在しない。結局は全て運なのだから。
私はこの考え方をし始めたら地位や名声への興味も恐怖も無くなった。前までは「ハーバード行ったんだ!すごすぎる!」というスタンスだったけど今は「ハーバード行ったんだ!よかったね!」というスタンスになり自分と比べるとかではなく純粋にその人の努力が運と結びついてよかったなという相手への喜びに変わった。
ちょっと話が逸れたけど、そんな運に振り回される人生でも、やっぱり努力は運を最大限にする。努力をすれば運はいい方向にいく確率が高くなる。だからこんな世界でも悲観せずに努力をするべきだ。
そして私たちが少しでも幸せに生きるためにはこういった絶望の現実(世界は不平等で理不尽だということ)を理解した上で、理想を追うのがベストだと思う。理想を追うことで成長することができ、現実を理解することで最善を尽くして失敗した時でも「これは運のせいで私のせいではない」と思える。
これはなんでもそうだと思う。なにせ運のパワーは強い。
そしてどんなに成功しているように見える人でも山や谷はもちろんあるし、ずーっと登り道を進め続ける人間が存在できるほどこの世界は甘くない。そして今が谷であっても絶対に山が来る。ずーっと谷である人間が存在できるほどこの世界は残酷ではない。
もしずっと谷であるならばそれは現実だけ見て理想を追っていないということ。
この世に、世界をコントロールする神的なものが存在するのだとしたら、それは運という概念だと思う。
それは神みたいに一つの絶対的存在なのではなく、この地球を包含してる霧のような存在。そしてそれは宇宙にまで及ぶ。限りのない何処までも及ぶこの偶然、混沌のなんらかの力こそが、この世をコントロールしていると。
それを古代の中国の人たちは天命と呼んだのではないかなと思う。
なので結論は、
残酷な現実を受け止めつつも理想を追って努力し運を最大限に引き出すことで幸せに近づけるのではないか。
ということです。
ではそろそろ授業へいってきます!