シリコンバレーの大学生日記

シリコンバレーのカレッジに2016年秋に入学し、2年後カリフォルニア大学へ編入する留学日記で…。したが、なぜかオランダのLeiden Universityに2018秋に入学することになり最近は弁護士になりたい私のジャーニー記録です。Twitter @Japan__America

人間が本能を克服する時代の到来

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来週からミッドタームで勉強してるんですが、なにせ6つの授業すべてがあらゆる分野の哲学なので、インプットが多すぎてどうしてもアウトプットしたかったのでブログを書くことにしました。

 

 

ホッブズやルソーなどの哲学者から始まる近代哲学では、「人間と自然」というのがテーマでした。

 

というのは、「人間は自然の一部なのか?」「人間と自然は完璧に離れているもので、人間社会は自然から逸脱した存在なのか?」「私たち人間は、自然の目的のための道具であるのか?」「そうだとしたらどういう人間社会が理想的なのか?」などを徹底的に近代の哲学者たちは考えていました。

 

しかし科学技術が発展した今、私の意見は、「現代の人間社会の発展は自然の本能である子孫を残して種として繁栄するという目的からハズレ始めているため、もはや人間自体が自然から逸脱し始めている」というものです。

 

確かにこの高みを目指し続けるというのは人間の本能なのかもしれませんが、技術が高度に発展しすぎていて、それが社会に将来的に及ぼす結果を誰も想像できないことから、結果的に自然から逸脱する方向へと進んでいるのだと思います。

 

 

そして戦争がほとんどの国でなくなったことから、社会が安定し、個人個人が幸せに暮らすためには?ということが課題になってきたことに加えて、

 

個人主義西洋文化の影響で世界中にこの課題が広まりました。

 

 

個人の権利のぶつかり合いは複雑を極め、私たちは「習慣」という人間心理を克服しなければいけないという時代になりました。

 

というのは、人間は習慣という人間心理に基づいて生きています。例えば私たちは、ご飯を食べたらお腹いっぱいになって満足するというのを習慣的に知っています。自分の経験からパターンとして物事を信じること(習慣)を私たちは日常的に行なっています。

 

そのように、カテゴリーとして分けてしまうことや今までの文化的な「当たり前」を当たり前として信じて生きていくことは自然なことなのです。

 

 

しかし複雑なことに現代の倫理はそれをよしとしません。

 

 

人間の本能だから仕方ないことでも、いいことと悪いことはある。それは世の中の自分を含める個人個人が幸せに暮らすために、仕方のないことでも間違っていることは間違っているとする考え方が現代社会に生まれてきました。もちろんここで言いたいのは人種問題、ジェンダーや階級に対する社会問題です。

 

 

これってすごく複雑なことだと思うんですね。今までにないくらい複雑なこと。

 

だからまだ世の中には「考えすぎだよ、馬鹿馬鹿しい」とか「そんな窮屈な世の中じゃあつまらない」とかいう人もたくさんいると思います。

 

 

しかし歴史的に私たちのDNAに組み込まれた習慣はそう簡単には変えられないとはいえ、それでプレッシャーを感じたり、不安な気持ちになってる人は数え切れないほどいます。

 

 

私たちがこの課題をどう人間として克服していくのかは本当に難しい問題になると思いますが、私はこの動向はいいことだと思っているので、

 

まずは視野を広くして(これまた難しい)気づくことから頑張ってみて、矛盾しながらも他人を理解するような行動が取れる日がいつか来るのかなと願いながら生きていこうかなと思います。

 

この前の記事の『人生山あり谷あり』の記事でも結論として出たように、絶望の現実を理解し受け止めた上で私たちは理想を追い続けるべきだというのを私は信じているので。

 

 

(でも本当に嫌なことやムカつくことがあった時は相手を理解しようと無理はせず、時間を置いて何年か後に振り返って学んで、それを理想のために実践がいいのかなーとオランダに住んでて思います。笑)

 

 

ではこんなところで、そろそろ勉強に戻ります!