シリコンバレーの大学生日記

シリコンバレーのカレッジに2016年秋に入学し、2年後カリフォルニア大学へ編入する留学日記で…。したが、なぜかオランダのLeiden Universityに2018秋に入学することになり最近は弁護士になりたい私のジャーニー記録です。Twitter @Japan__America

本当に正直者は馬鹿をみるのか?

 

 

こんばんは〜!

 

今日はクイズがあったので朝6時に起きて7時のバスに乗って学校で2時間朝勉強してましたー!

 

そのおかげもあってか、クイズは多分満点です!もしそうじゃなかったらプロフェッサーに何が違うのか抗議しに行きます笑

 

授業が終わったあとはプロフェッサーと個人的に歩きながらいろんな話をしたので楽しかったです!!

 

哲学のプロフェッサーとは一回オフィスアワーで話しただけだけど、他の3人には授業後に超頻繁に質問とか話をしにいってるので顔と名前は覚えてもらえたと思います!メールとかも質問が浮かぶたびに送ってるしね!

 

 

さてさて、さっきまで来週から引っ越す家のルームメイトたちと会って色々と話してたのですが、カフェで話してる途中にふら〜っと入って来た人がルームメイトの1人の友達で、2人でなにやら話してました。

 

その後にそのルームメイトの友達のことについて話してたり他の友達のことについて話してたのですが、話を聞く限りルームメイトの友達がそんなに勉強しなかったけどうまく立ち回ってUC Irvine編入したらしいのです。

 

ここで私はあることが頭に浮かびました。

 

 

 

正直者はやっぱり馬鹿をみるのか?

 

差別とかじゃなく、中国人とかアジア人は結構チートします。全員とは言いませんが、本当に結構みんなしてます。

 

それでいいGPAをとってお金で雇った人に最高のエッセイを書いてもらってバークレーに入ったとします。

 

 

そしてもし私が全力で勉強して色んなことをしたけどバークレーに入れなかったとします。

 

 

倫理を捨てて“成功”を手にした彼らと、倫理を守って成功を手に入れられなかった私、どちらが幸せでしょうか?

 

 

これは文面的に見たらバークレー編入した人の方が成功者に見えます。

 

 

なのでこれによると正直者は馬鹿をみる社会だということになります。

 

 

でも、

 

本当にそうだろうか?努力は無駄なのか?

 

私は綺麗事とかでもなんでもなく、正直者は馬鹿を見ないと思います。

 

シチュエーションにもよりますし、政治とかになってくるとまた話は別になりますが、とりあえずはこの場合です。

 

 

私は考えました。

 

 

じゃあ私も勉強しないでチートしてバークレー目指せばいいのかな?と。

 

 

人生のゴールがバークレーに入ることならばどんな手段でもそこを掴みとればいいかもしれません。

 

 

でも、私たちは大学を卒業してから60年以上社会で生きていかなければなりません。

 

50歳になった時に、コネクション以外でバークレーという名が影響するでしょうか??

 

 

コネクションもそんな中途半端にちゃらんぽらんで入った人にちゃんとした仲間ができるでしょうか?

 

 

バークレーとはいえ、類は友を呼びます。

 

 

それに、もしバークレーを卒業しても名前だけで人生が成功するほど世の中は甘くないと思います。

 

 

例えば会社で、

 

あの人バークレー出身で優秀らしいから、とりあえず期待を込めて上の役職を渡すか!

 

とされるとします。

 

そしてミーティングやプレゼン、接待の時に知性や教養が感じられなかった時、企業はどうしますか?

 

バークレーだからと言ってその役所に留まらせますか?

 

 

企業は馬鹿じゃないので、そんなことするはずがないですよね。ソッコー、君ダメ。と言われ、落とされます。

 

 

しかもバークレーというハードルのせいで、少しでも出来ないと“バークレーのくせに”と言われてしまいます。

 

 

知性と教養は詰め込みなんかでは補えません。

 

 

教養や思考力や課題発見能力は身につけるのに時間がかかります。だから私たちは16年もの歳月をかけて徐々に教育をうけるのです。

 

 

耳にタコができるようなセリフですが、やっぱり大学に入るのはゴールじゃないです。プロセスです。

 

自分が世の中に貢献できるように知性や能力を磨いていく場所。バークレーだと磨き方や出会う人々のレベルが高いからプロセスとしてそこを選ぶ。それだけです。

 

 

レベルの高いプロセスになんの下準備も無しについていけるはずがありません。

 

 

そういう人はバークレーで磨けばいいじゃん!って思う人もいるかもしれません。

 

でも実際、アメリカで働かないのであれば成績がよくなくても名前だけでいいので留学生は編入後はあんまり危機感を持って勉強しない傾向にあると聞きました。

 

 

今しか享受できないプロセスを全部チートで埋め尽くして名前だけもらって、30歳になった時に、あなたは自分自身をどう説明できますか?

 

 

バークレー卒業したAllyです!以上です!なんて、酒のつまみにしかなりません。中身が空っぽすぎて。

 

 

若い、エネルギーや体力や視力など、全力を尽くせる条件が揃ってる時でないとこの人間を磨くプロセスはできないのです。

 

 

 

そう考えた時にやっぱり私たちがその時その時でしなきゃいけないことは、目の前のことをとにかく全力でやるということだと思いました

 

 

今しかできないことってなに?

 

 

よく今しかできないことをやろう!!だから遊ぼう!!好きなことをしよう!!って言う人がいます。それも人生です。

 

 

でも今しかできないことはたくさんあります。本を読んだり勉強することはいつでもできるように思えますが、実際40〜50になると疲れや体力や視力や集中力の問題でしたくても出来なくなるのです。

 

遊ぶだけが今しかできないことではありません。

 

 

しかし、遊ぶな!!と言ってるわけじゃありません。遊ぶのは本当に大事なことです。

 

 

でも、目の前の幸せにとらわれすぎて、本当の人生における幸せを逃したら、それはなんの意味がありますか?

 

 

本当の幸せはゲームや友達と遊ぶことでは感じられません。

 

 

自分が、意味がある!と思うことを達成するために努力をすることが本当の幸せを感じるために必要なことだと私は思います。

 

 

それは結婚もそうかもしれませんし、仕事で達成感を得ることかもしれません。

 

 

だから、自分が意味があると感じたものに全力を投じ続ける人生の方が私は幸せだと思っています。

 

 

なのでチートをして手に入れた成功なんて、逆に苦しむと思うんですね、この先。人生の意味とか、自分とはとか、仕事に関してとかに悩まされると思うんです。

 

そこも含めて人生うまくやっていける人はいいかもしれませんが、そんな器用な人はそうそういないですね。

 

俗にいう成功した人を見てみてもテキトーにやってた人なんていません。

 

 

確かにずる賢さも戦略として少しは必要かもしれませんが、そんなんで塗り固められた人生は、虚しさやアイデンティティに苦しむだけです。

 

 

これらの理由からわたしはバークレーに入りたくてもチートはしませんし、努力は惜しみません。仮にバークレーに入れなくても、全力で生きていれば二年後には人や社会に貢献できる要素が今よりかは増えてると思いますし。

 

 

なんかすっごーーく長くなった気がしますが、より多くの質の良いものを蓄えるためにやっぱり真剣にバークレーを目指して頑張りたいと思います!

 

 

今日は今から哲学と歴史と人文学のユダヤ教についてのことを復習してから寝ようと思います!

 

明日も朝早くに起きて朝から勉強だー!!

 

ではでは!長々とすみません!すっきりした〜〜!アディオス!