シリコンバレーの大学生日記

シリコンバレーのカレッジに2016年秋に入学し、2年後カリフォルニア大学へ編入する留学日記で…。したが、なぜかオランダのLeiden Universityに2018秋に入学することになり最近は弁護士になりたい私のジャーニー記録です。Twitter @Japan__America

Okay then, who should survive?

 

こんばんは。最近毎日ブログじゃなくなってきてる気がするんですけど、備忘録として今の、19歳としての自分を輪郭付けるために思ったことや日常を書いてるのでまあ気ままにお付き合いください〜

 

今日は1月からのwinter quaterの授業を取りました!

 

授業の取り方は前に2時間くらいかけて書いたのでそちらを参考にしていただければと思います!

 

 

allyryugaku.hatenablog.com

 

 

あ、そうそう。ここに書いてあるNGO設立のことは発案者があれ以来フェードアウトして自然消滅しました。やる気ないなら誘うなよ!!というね。

 

クラブもディベートは知り合いが作るらしく、討論クラブを作ろうと思ったのですが、なんせ人が集まらないので、まあゆるくこれからチャンス狙えたらやろうかな〜と。

 

 

そうそう、次学期で取るクラスは今の所、

English Writing

English Reading

Philosophy : Deductive Logic - 演繹論理学

Geography (まだわかんない)

Humanities : Creative minds

 

って感じです。

 

知識が溜まり始めたので考察のメソッドとして、ロジカルに考えることをはじめのうちに身に付けたいので取りました!てか、必修なんですけどね!

 

編入までに必要な24クラス中11クラスが哲学なので(全部必修じゃないけど編入の際のアピールとして)、編入時になったら菩提樹の下で生死について考えてそうです〜

 

まあ、まじで楽しみなのが日本哲学と政治哲学の授業なんですよね!!日本哲学の授業あるとか神かよ!!

 

 

近況報告はこのくらいにしておいて、今日は最近の哲学で扱ってる生命倫理のことについて書きたいと思います。

 

高校の頃から死刑とか安楽死とか出生前診断とか臓器移植とか延命治療とか興味があって、一番仲がよかった友達と「テクノロジーの暴走を止めるのが文系の私たちの役目だ!」とか言ってました。笑

日本に帰ってその友達と会う時にはお互いパワーアップしてもっとハイレベルなお話ができるといいな!頑張ろう!!

 

 

それで、前のエッセイは臓器移植の功利主義的考察と神明論的考察の比較だったんですけど、今は安楽死なんですよね。

 

そもそも安楽死のなにが問題かというと、

 

安楽死(euthanasia, eu=well, thanasia=to die)とは、痛みに苦しむ末期の患者に、医師が薬物などを投与して死なせる事です。もう少し詳しく分類すると、徒に無意味な治療を継続しないと考えて、治療を中止する「消極的安楽死」と、薬物を投与する「積極的安楽死」とに分けられます。モルヒネ投与など苦痛の除去と緩和措置を治療自体よりも優先する事も、「消極的安楽死」に含まれると考えられています。

「消極的安楽死」を尊厳死と考える見方もあります。また「積極的安楽死」は倫理的だけではなく、法律上も問題になり得ます。また苦痛を和らげる以外の薬物、すなわち毒物等の投与や、医師以外の者による薬物の投与は犯罪とされます。

 

『積極的安楽死と消極的安楽死』ジェイムズ・レイチェル(和訳=『バイオエシックスの基礎』pp.113-121)「非常に多くの人々が積極的安楽死と消極的安楽死に、重要な道徳上の違いがあると考えている1つの理由は、殺すということが死ぬにまかせるということよりも、道徳的にはもっと悪いことであると考えているからである」

 

治療の中止による死も、薬物の投与による死も、本人の意思確認、家族の了承、回復の可能性の追求(理論的に不可能である)等の要件を満たしていないと、殺人行為となる恐れがある。しかもそれは単なる殺人に留まらない。

 

一方尊厳死(death with dignity)は末期癌等の患者が自発的に延命処置を拒否して、自然のままに死ぬ事とされています。人間は死に際しても、最後まで人間として扱われ、人間として死んでゆく、というもの。すると全ての死は尊厳死でなければならない事になる。

前者では医師が患者の「ためを思って」、後者では患者が自らの「ためを思って」、精神的・肉体的苦痛よりも死を選ぶ事になるのでしょうか。その際にも「患者本人の嘱託又は承諾」が必要であり、「自己決定権」が尊重されます。したがって、安楽死をさせようと医師が患者の意思確認を怠って、患者の「ためを思って」薬物を投与すると、日本や西洋(の多く)では、自殺幇助として罰せられます。

 

 

って感じですね。

 

要するに、安楽死は殺人になるのか?でも治療をやめて死ぬのを待つことは殺人にはならないのか?とかいろんな問題を孕んでるわけなのです。

 

 

やっぱり生命倫理は テクノロジー VS 人間の生死に関わる倫理的問題 って感じで興味深いですね。これでいいのかって疑うあたりは哲学的なのに、みんながイメージする「何の役にたつの?」的な哲学じゃなく、私たちの現実世界に密接に関わってるあたりが。

 

 

まずこれを読んでいるあなたへ質問です。

 

①病院に心臓病で余命半年の子供の患者さんがいます。その子は毎日毎日薬の副作用で苦しんでいてまともに話したりすることもできません。そこでお医者さんが安楽死という方法で家族の了承を得てその子の命を終わらせたとします。

 

これは倫理的に間違っていると思いますか?人間が他の人間の命を承諾のうえでも意図的に終わらせることは殺人なのでしょうか?

 

ではこれはどうでしょう。

 

②同じこの子供の患者さんをお医者さんが家族の了承を得て治療をストップさせ、自然に亡くなるのを待つ方法を取り、最終的にその子は半年後に亡くなりました。

 

こちらのケースは殺人になるでしょうか?

 

多くの人は①は殺人になるが②はならないと答えます。

 

 

ではもしこんなケースがあったらどうでしょう。

 

①父親が自分の子供を殺害したいと思い、お風呂場で、父親自らの手で子供を溺死させました。しかしその父親は事故死だと装い結果的に何の罪にも問われずに悲劇のヒロインとしてその後普通に暮らしました。

 

酷い例でごめんなさい・・・

 

②父親が自分の子供を殺害したいと思い、お風呂場で、父親自らの手で子供を溺死させようとしたところ、子供が洗い場で足を滑らせ角に頭を強打し、すでに亡くなっていました。もちろん父親はなにもせずにいて、実際にそれは事故死なので、父親は何の罪にも問われず悲劇のヒロインとしてその後普通に暮らしました。

 

①は自分の手で子供を殺め、②は見ていただけでなにも手を出さずに子供がなくなりました。

 

 

さて、このケースではどちらかが倫理的に間違っていて、どちらかが倫理的にあっていると言えるでしょうか?

 

 

私は言えないと思います。行動に対する意図が同じであれば方法が違うだけでどちらかが正しくてどちらかが間違ってるとは私は言えないと思います。結果が良い=倫理的に良いとは限りません。

 

 

ここで出てくる問題は「半年後に結果的には亡くなってしまうのに、今なくなるのとは何が違うのか?」ということです。

 

人間はいつか死ぬからいつ死んでも同じ。というのは人間の平均寿命を80歳として大体の人がそこで死ぬと考えた時にその時間でできることがたくさんあるので違うと思います。

 

でも反対意見として、「ではできることが少ない、余命が短い人はいつ死んでもいいということなのか?」ということがありますが、そうではありません。ここで本人の意思が確認できる患者であればその人の希望に従えばいいのですが、患者さんが子供や障害を持った人であれば親族がそこを決定しなければなりません。

 

もしかしたら、本人は想像を絶するような苦しみから本当は解放されたいけれど、両親が現実を受け止められないあまりその苦しみを本人に強制しながら、正当化しているかもしれません。

 

 

しかし、ここで問題なのは、「私がもし当人だったらこんなことは言えない」ということです。生命倫理は倫理的に考えた時と、実際自分が直面した時の考えが違う傾向にあることが問題だと思います。出生前診断にしても安楽死にしても、きれいごとばかりは言えたとしても、自分が直面した時は考えていた時とは反対の方に行ってしまうことが多いと。

 

 

だから難しいんですよね。倫理と感情って、理性と本能って真反対に位置するからそのギャップが本当に難しい。

 

 

そろそろ超長くなってきた気がするんですが、最後にこれを書いてて「自殺はいけないことなのか?」という疑問が浮かびました。

 

自分の意思がしっかりしている人が安楽死や延命治療の中止を選択した場合、それは殺人というより自殺ということになるな、と。

 

 

だから一概に安楽死を否定してしまうと、自殺も否定することになる。

 

自殺がいけないとされてるのは殺人と同じ理由だと思うんですよね。しちゃいけない!!ってことじゃなくて、みんながバンバンしてしまうと社会が成り立たなくなるから、自然法則というよりかは、後天的な社会的ルールとして存在してるわけで。

 

あとは周りの人が悲しむから。確かにそうだけど、それを考えて考えて考え抜いた結果自殺っていう選択肢しかなかったからそれを選んでるんじゃないのかなって思います。

 

 

あとは他人に迷惑がかかるから自殺はいけない。っていう人がいますけど、この日本の考え方はちょっとおかしいと思います。他人に迷惑をかけちゃいけない!っていうより、他人に迷惑をかけて生きるのが人間だから、相手の迷惑も受け入れて支えあって生きて行くっていうほうが正解な気がします。

 

そうすれば他人に対してもっと寛容になれるんじゃないかなーと。

 

 

書き始めたら止まらなくなっちゃいました。しかもなんか読み返したらまとまりない。ま、私のブログだしいいよね。うーん、いや、読みづらくてごめんなさい・・・

 

 

でもやっぱりなにか物事を真剣に考えるのって好き。薄っぺらいと思ってた、つまんないと思ってた世界が一気に厚みを増して数え切れないほどの人々の努力や葛藤が見えるし、むしろ薄っぺらいと思ってたのは自分が薄っぺらかったからなんだなって思える。

 

ま、このブログも20年後見返したら、相当薄っぺらくて、将来の自分に鼻で笑われそうだけど。笑

 

 

そんな感じで今日はこの辺で!

 

 

明日からサンクスギビングっていうアメリカのホリデーで5連休なので、私含めて友達3人でスタディルームで徹夜です!!

 

24時間空いてるのは素晴らしすぎて毎日ここにこもってるからいい感じに充実してる!!

 

今週は遊ぶぞー!!!!

 

 

ではでは、超長文なのにここまで読んでくれた方ありがとうございました!!