哲学をする意味ってなんだろう
こんばんは!
本当は今日はサンクスギビングとかで買った冬物の服とか載せるついでにこっちで着てる服とかを載せようと思ったんですけど、哲学の授業の課題の映画を今見終えて、いろいろとマジで考えてしまったのでそのことについて書こうと思います。
フィロソフィーの授業中にその時に扱ってる授業内容に関連したすごく深い映画をエグザムが終わった週に見るんですけど、今回は2日徹夜したあとで体調が悪くて休んだ日に見たので、教授からDVD借りて今見終わりました。
それを見ての哲学的問いに答えるっていう課題なので適当には見れないんですが、適当に見るとかいう以前に素晴らしすぎてまじで見入っちゃいました。
今回の映画は「Million dollar baby」っていうのでした。
内容は結果的に安楽死につながるんですが、もう本当深すぎて・・・
前回安楽死についての記事をつれづれなるままに書いたと思うんですが、これを見ると本当に理論と現実は違うなーと哲学をする意味を考えてしまいました。
哲学って学問としていろんな定義があると思うんですけど、私は哲学とは全てのルールを作るための学問だと思ってるんですね。・・今のところは。
で、例えば法律で例えてみると、みんなが自分の権利や尊厳をできるだけ守って生きていける社会を作ろうとした時に、哲学(というかこの場合は基本的に倫理)を交えてルールを作ります。
でもルールっていうのは全員に当てはまるようにしないといけないから難しい世界を一概に一般化してシンプルに作らないとですよね。
例えば、「人を殺してはならない」っていう一般ルール的な。でも、広くシンプルなベースのルールすぎて、正当防衛の場合はどうなるんだとかそういう細かいところを考える時はまた道徳が必要になるじゃないですか。
だから倫理で作ったルールなのに結果的にいつも法廷では倫理と戦うことになる。いつも法律VS倫理になって両端をできるだけ擦り寄せて判決を出さなければならない。
どんだけ頑張って考えて考えて考え抜いたところで、現実との乖離が生じてまたVS倫理になってしまう。
そうするともう哲学をする意味ってなんだろうって。道徳的に正しいことを定めたはずなのにそれが現実とは差があるって。
いや、それは私未熟すぎてその差を埋められるほど深く考えられないからなのかも。
でも哲学をする意味ってなんだろうって考えても、哲学は人間生活そのものだから絶対に必要だし、考えても仕方ないのかもって考え込んだところで、私は哲学をやめることはないからなーー
経験からの倫理が一番強いんだろうけど、全部を経験するなんて普通に無理だし、むしろ重要な生死に関わる倫理を色々経験したかったらそれこそ命が持たない。
あーーー。
もっといろんなことを勉強して成長したい。
またごちゃごちゃした内容になっちゃってすみません。要するに私は哲学が好きでもっともっと勉強したいってことです。
明日はホリデーから現実に戻るための勉強と、自主メディアのライターの記事添削などのプロジェクト関係をみっちりやりたいと思います。
では!