よし、「正義」について考えよう
ジャスティーーーーース!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
どうも、サンシャインうんちゃらです。
サンシャイン誰だかど忘れしちゃいましたが、最近ジャスティスが流行ってるっぽいのでノリで正義のことについて考えたことを書き留めておきたいと思いまーす。
そもそも正義とは
辞書で調べると、
①正しい筋道。人が踏み行うべき正しい道。
と、出て来ます。
しかしそのすぐ下にあと一つの意味があります。それは、
②社会全体の幸福を保障する秩序を実現し維持すること。
です。
なんとも曖昧でふわっとした意味なのですが、私はこっちの方がしっくりくると思います。
つまり、
必ずしも「善」と「正義」は一致しない。そして、正義は多数決の原理で定義される。
ともとれます。
正しさというのは一人一人のポジションによって違います。
自分の立場として、自分にとって都合のいいことを正しさと人は呼びます。
例えば自分はワーキングプアで頑張ってるけど貧乏なのに生活保護がもらえなくて、それは平等と正義に反する!と政府や裕福な人に対して思ったとします。
しかし裕福な人はすでに尋常ではないパーセンテージのお金を国に収めていて、働けどはたらけど、社会を平等にするべきお金として国にとられてしまいます。
さて、同情などの感情を除いて、どちらが正しい、悪だなどと言えるでしょうか?
俗に使われている「正義」という言葉はうまいこと同情と自己中のカムフラージュとして使われている気がします。
もちろんそうではない場合もありますよ?
そもそも①の人が踏み行うべき正しい道ってなんぞや。誰かが決めた道徳的ルール集なんてありやしない。宗教ごとにあるかもしれないけど、それこそ他に押し付けることで争いが起こってる。
人間は理性的な、社会的な動物なんて、人間は完全に理性的だなんて到底言えないよ。「基本的に」理性的っぽいかんじなだけで。
そんな人間に完全なる正しいことから外れないことを望むのは無理だし、その曖昧な定義から外れたら正しい正しくないと言うのだとすれば、正義なんて人間界には存在しない。
あるのは正義という名の自分勝手な言い訳と同情と承認欲求。
そして社会全体の幸福を保障する秩序を維持するためなら犠牲は仕方ないとするのが正義ならば若干の納得はいくけど、それは完全に功利主義的見解であって、人権を無視することになる。
それは正しい道とは全く繋がらない。
じゃあ「正義」って結局のところなんなんだろう。
そんなことの日々私たちは悩んで生きてるわけです。
どんな規範に基づいて何を目指して生きていけばいい?
そーんなことを考えた夜でした。
明日はバークレー行ってまいります!では!