シリコンバレーの大学生日記

シリコンバレーのカレッジに2016年秋に入学し、2年後カリフォルニア大学へ編入する留学日記で…。したが、なぜかオランダのLeiden Universityに2018秋に入学することになり最近は弁護士になりたい私のジャーニー記録です。Twitter @Japan__America

卒論の結果もらって卒業間近!

 

 

毎回お久しぶりですって言ってますがマジでまたまたお久しぶりです〜〜!!

 

この大変なコロナの中、皆さんも色々大変だと思いますが、皆さんと皆さんのご家族や大切な人たちが健康であれば幸いです。

 

 

私はというと、6月に卒論を大学に提出して卒業間近というところにいます。先月末に卒論の結果をもらってなんとGPAでいうとことのAの結果を出せたのでやり切った〜という感じです!

 

今はいろんな手続きもあって9月の卒業式を控えているところです。実際に卒業式に出席するかは分かりませんが、とにかく卒業の手続きがたくさんあるので色々待ってる感じですね!私の大学は色々マジでテキトーなので卒業証書をもらうまでは喜べないのです...

 

 

私の卒論のトピックはもちろん哲学なんですが、学科が比較哲学という世界中の哲学を比較してさらに哲学的心理を探ろ〜な学科なので、西洋と東洋の哲学を比較した論文を書きました!

 

んで何を書いたかというと、ドイツの哲学者のフッサールという人と東アジアの仏教の哲学を引き合いに出して時間とはなんなのか?っていうことについてを論文にしました。

 

私の論文では時間というものはすでに存在しているものではなく、私たち人間の意識と密接に繋がっているものというスタンスで論文を書きました。つまり私の論文での論点は「時間というものは私たちとは別に高次元に存在しているものではなく、私たちの意識が存在しているからこそ存在できうるものである。そして意識なしに時間は存在できず、時間なしに意識は存在できない。」ということをドイツ哲学者のフッサールと仏教の唯識学派の哲学体系を引用しつつ議論しました!

 

表なども5個くらい作って説明して、結局8000ワードくらいになりましたが正直8000ワードは少なかったです。

 

詳細を話すとむっちゃハードコア哲学になってしまい「は?何言ってんの?」ってなってしまうので詳細は飛ばしたとして....

 

 

時間というテーマは私が特に興味を持っていた認識論、存在論形而上学の哲学的疑問を含んでいて、フッサール現象学は私が高校生の時に哲学に興味を持ち始めたきっかけの人物でした。そして仏教哲学は私の日本人であるというルーツもあり大学在学中に特に力を入れて勉強していた分野でした。

 

それを全て含めた集大成の卒論でいい成績をおさめられたことは、これまでもこれからの人生の中でもかけがえのない宝物になったと思います!私は本当に哲学オタクなので6ヶ月間ここまで複雑な哲学にどっぷり浸かって、哲学のみに打ち込めたことは本当に本当に幸せでした。大変だったけど!

 

これまでの大学生活、アメリカから始まって何故かオランダに行きついて、国の単位システムの違いで卒業に5年かかってしまいましたが、何も悔いはありません。単位も1度も落とすことなくいい成績を取り続けられたのも達成感しかないです。それよりも私の選択を尊重し、サポートしてくれた家族に感謝しかありません!

 

オランダで友達は少なかったけど、他の哲学オタクのクラスメート達と一緒に大好きな哲学に3年も打ち込めて本当に幸せでした。5年間勉強づくしでしたが本からも人生経験としてもいろんなことを学んで、これ以上ないくらいの充実した大学生活でした。私の青春は仲間達と哲学について熱く語る日々でしたが、それができた環境にいることにとても感謝しています。

 

卒業後も海外で引き続き生きていきますが、自分のスキルや環境を活かしつつなんとか頑張ってお金稼いで生きていきたいと思います〜

 

袴着るぞーーー!!!!

 

 

ではでは、みなさんお体には気をつけてくださいね!

 

 

アディオス!

スプーンを作る意味は、カレーを食べてる人を見た時にしかわからない

モヤモヤした人のイラスト(男性)

 

「私、なんでこんなことしてるんだろう?」

 

「今やってるこの意味はなんなんだろう」

 

 

これ、みんな一度は考えたことあると思います。

 

 

私もオランダで暮らした時本当に全てが辛すぎて正直オランダが嫌いでした。

オランダにいたときは「ここにいる意味はないし、早くここから出て行きたい」といつも思っていました。

 

でも今オランダを離れて五ヶ月くらい経って、オランダでの経験が自分の考え方に影響してることに気づいた時から、ヨーロッパに暮らした意味やポジティブなことを考えられるようになってきました。

 

これがこのタイトルに書いた「スプーンを作った意味は、カレーを食べてる人を見た時にしかわからない」ということです。

 

例えばあなたがスプーンを作るスプーン職人だとして、あなたはスプーンを作ってる最中は何故それを作っているかあまりわからないはずです。でも数ヶ月後それが出荷されて顧客の元に届いて、その顧客があなたが作ったスプーンを使ってカレーを食べてる時に初めて、あなたは自分のやった仕事の意味を遡及的に定義できるのです。

 

自分がやってることの意味は遡及的に定義されるのです。

 

これはもちろん、時間軸的に原因が結果を先行するからです。スプーンの例でいうとスプーンを作ることが、他人がそのスプーンでカレーを食べるという結果の原因なので、原因の意義は結果を見てからでないとわからない、即ち、自分がやってることの意味は遡及的に定義されるということな訳です。

 

 

しかしこれをさらに一層深く考えてみると、主観と客観によって説明ができそうです。

 

前提として私たちは経験を客観的に見れた時にのみ、そのことについて省みることが出来、さらに意味をラベルづけできると私は思います。

 

私が今スプーンを作っているということは、「私」という主体が主観的にスプーンを作っている行為ということであると言えます。ここに客観性は一切ありません。

 

しかし数ヶ月がたち、「私がスプーンを作っていた」ということを省みるという行為は、「私という主体が主観的にスプーンを作っていた」ということを客観的に見ているという行為だと言えます。

 

前提で言った通り私たちは経験を客観的に見れた時にのみ、そのことについて考えや思いを馳せさらには意味をラベルづけすることができるため、意味というものは遡及的にしか定義できないと私は思います。

 

 

結論的に、時間軸に沿った因果関係によっても、省みるという行為が客観性を要することによっても、どちらにしろ今自分のやっていることの意味わわからないということです。

 

 

だから今自分の置かれた状況ややっていることに疑問やそれゆえの苦しみを感じていても、意味なんてのは後になって省みた時にしかわからないので、続けるにしてもやめるにしても意味を今考えても仕方ないのです〜。

 

 

ふと考えたことをまとめてみました。

 

結構徒然なるままに書いたので矛盾や詰めの甘さなどがあればどんどんコメントください〜

三週間で12,000ワード書き切る、エッセイのコツ!!!

Top View of White Desk Stock Footage Video (100% Royalty-free ...

 

みなさーん!!お久しぶりです!!Allyです!!!

 

いや〜なんか留学生活も書き切れないほどいろんなことが起きて、大学の勉強も忙しすぎて何年も続けていたブログを放置してしまいました...!今は訳あってメキシコにいて、先週末ペーパーも全て提出し夏休みになって時間があるのでブログを復活させました〜!!

 

今日のタイトルはズバリ、「エッセイやリサーチペーパーを書くコツ!!」をね、書いていきたいと思います。

 

 

今学期、最終学年の授業を先取りで三つ取ったんですが、ファイナルペーパーなんと合計12,000ワードを書かなきゃいけなかったという...

 

しかもその三つのクラス内容も重くて、

1. 時間の哲学(もはや理論物理よりの科学哲学の授業)

2. 暴力の哲学(法哲学

3. フェミスト哲学論(フェミニズムというよりは社会的不平等の一つとしてのフェミニズム

を取ってました!

 

ファイナルペーパーでは

1. 時間と因果関係(ざっくりいうと時間が過去→現在→未来の一方向なのは、1) 因果関係の要因→結果に方向があり結果が要因を先行しないから  2)熱力学第二法則的にカオス状態が収束に戻っていく(つまり未来→現在→過去)というのは考えにくいから)

 

2. 政治哲学者カールシュミットの例外状態を日本の憲法9条と比較したとき、日本の民主主義は危機に瀕していると言える(憲法解釈改憲することがなぜいけないのかを法哲学 / 憲法学的に分析)

 

3. 多文化主義 vs. フェミニズム(ざっくりいうと、中東を中心とする女性器切除の伝統や南米を中心とするレイピストと被害者女性を結婚させる文化などの女性の人権を無視した伝統文化を語るとき、多文化主義フェミニズムは真っ向から衝突する。このとき集団の権利か一個人の権利のどちらが尊重されるべきか、ということを議論し結論を書いた)

こんな感じのを4000ワードずつ書きました!大変だったけど、正直超楽しかったし、めちゃくちゃ色々学んだ!!

 

 

そんな感じでこれらを私がどうやって三週間で終わらせたのを書きます〜

 

 

 

その1:余裕を持ったスケジュールをまずは作るべし!

いつソースを探し、いつタイトルを決め、いつ書き始めて、いつまでに終わらせるのかというのをざっくりでもいいので余裕を持って設定しましょう!私は自分が少しだらけてしまうのも加味してスケジュールを作ってます!そしてスケジュール通りにいかなかったらその都度スケジュールを書き直す!

 

 

その2:手順をふむべし!

ペーパーを書き始める時の順序としては

 

a. 興味がある範囲のキーワードを打ち込み、検索し、読み、その範囲を知る。例えば「んーとりあえずこの作者の言ってる時間と因果関係の関係性って面白そうだな〜」と思ったら検索に【time and causation philosophy of science】って打って出てくる論文やらアーティクルを読みまくる。

 

b. 質問を書き出す。例えば「そもそも因果関係って何?」とか。

 

c. テーマやタイトルを決める。

 

d. ソース集め。テーマやそれに沿う質問に関連した論文を5-6個くらい集める。

 

e. テンプレート作り(これ大事!!)

これをし始めたおかげで私は何千字のペーパーでも怖くなくなったので大事!

テンプレートというのは、4000ワードだった場合、

 

例)title: Time and Causation

 

- introduction (300 words)

 

- body (3400 words)

・What is causation in the first place? Refer to all the major philosophers who argue about causation (1000 words)

・Is causation dependent on time? Refer to some philosophers who talk about the relationship between causation and time (700 words) 

・Relationship between temporal order and causal order (600 words)

・Based on all the theories, reject some of them and state what I think about time and causation (1000 words)

・Possible counter argument and refute it to reinforce my argument (300 words)

 

- conclusion (300 words)

・We cannot talk about causation without time and cannot talk about time without causation because the temporal order and the causal order are interconnected.

 

的な!

こうすることでぼや〜っとした4000ワードが300, 1000, 700, 600, 1000, 300, 300となりました!!それでイントロとコンクルージョンはボディ を書いてからまとめるとして、ボディを一日1000ワード目安に書いていくといいかなって感じです!

 

これが1500ワードのエッセイだったりするとかなり簡単で、

- intro (200)

- body (1000)

・first half (500)

・second half (500)

- conclusion (300)

とかでめちゃくちゃ捗るんですよー!

ボティパラグラフは、文字数の区切りごとにコンクルージョンに必要なサブクエスチョンやらサブテーマ(first half の 500ワードはwhat is causation?について書いてsecond half の 500ワードはwhy is causation related to time?について書くみたいな)を書くともう無限に書ける!

 

私のよくわからん説明で通じたかな?????

 

f. テンプレートができたらひたすら書きまくる!

 

 

その3:ペーパー書き終えたら2日くらいはノータッチで放置しておいて、2日後にフレッシュな頭でペーパーを読み返してエディットするべし!!

書き終えたらすぐに提出するんではなく、少し寝かせておいてから数日後に読むと客観的に自分のペーパーが読めていい感じです〜

 

 

その他:Grammaryとかのグラマー添削アプリは必須!

これは地味に大事ですね〜ほとんどみんなパソコンにインストールしてあるかと思いますが、何と言っても英語は多くの人にとって第二言語なんでね。グラマーやスペリングの添削アプリは必須ですね。

 

 

そんな感じかな?

 

とにかく細かい文字数を書いたテンプレートを作り始めてから私はペーパー書くのが本当に楽になりました!!

 

 

ぜひ真似してみてください〜!

 

ま、今日はこの辺で!

 

 

アディオス〜

 

 

私たちは困った人を助けなければ『ならない』のか?

 

倫理学とは、

何が道徳的な行いなのか?正しいや間違っていることは何か?という問いはもちろん、なぜ私たちが正しいと思う行いは正しいのか?倫理の正しい絶対的法則というのもはあるのか?

ということを突き詰めていく学問分野です。

 

考えてみると不思議ですよね。

何が正しいかって一見すると相対的な、人によって、シチュエーションによって違う感じがしますよね。でも、「生まれたばかりの赤ちゃんを虐待する」とか「無実の人を快楽のために殺す」とかは全員一致で間違った行為だとみなします。

 

何故なんでしょう?全員が一致してこれは間違っている!と言えることがあるとしたらそこには何か法則がありそうですよね。

 

こうして今まで実にたくさんの哲学者たちが私たちが間違ってる / 正しいとする根拠はなんなのかということを考え続けてきました。

 

 

ここで今日紹介したいのは「功利主義」。知ってる人も多いかもしれませんが、功利主義とは一言でまとめると最大多数の最大幸福です。

 

これまた有名な例を使いますが功利主義を理解するには「トロッコの比喩」がわかりやすいです。

 

ããã­ãã³ã®æ¯å©ãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

(a) 線路を走っていたトロッコの制御が不能になった。このままでは前方で作業中だった5人が猛スピードのトロッコに避ける間もなく轢き殺されてしまう。
(1) この時たまたまA氏は線路の分岐器のすぐ側にいた。A氏がトロッコの進路を切り替えれば5人は確実に助かる。しかしその別路線でもB氏が1人で作業しており、5人の代わりにB氏がトロッコに轢かれて確実に死ぬ。A氏はトロッコを別路線に引き込むべきか?

Wikipedia

 

功利主義者は倫理的に正しい問題は数で決まるとするので、真っ先にレバーを押せ!というでしょう。それがより多くの人を助ける正義だから。

 

ここまではみなさん納得ですよね。それではどれだけの人数が助かるかというのを倫理の大原則とすればいいのでしょうか?そうすれば裁判所の法廷での有罪無罪やら罪の重さはものすごくシンプルに決めることができますよね?

 

 

ãtrolley problemãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

ではもし制御不能なトロッコを太った人1人を橋から突き落とすことで5人を救えるとしましょう。先ほどレバーを押すと答えた人はこの人物を橋から突き落としますか?

 

 

この二つは同じことです。こうなってくると、うーん。となりますよね。

無論、功利主義者たちはもちろんこの人物を突き落として五人を救え!というでしょう。この辺から功利主義的な数の原理が本当に倫理的な絶対法則と言えるか怪しくなってきましたね。

 

 

ãthe survival lotteryãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

そして次にこれはどうでしょう。

臓器移植が100%成功する未来を仮定して、8人の臓器不全の人たちがいるとします。この8人は末期状態で早く臓器移植をしないと死んでしまいます。そこでランダムな抽選で1人を選んでこの8人に臓器を配るとしましょう。これは倫理的にどうですか?

 

もちろん功利主義は1人で8人助けられるならそれは倫理的に正しい行為だと言います。

 

これ、もうおかしいですよね。いくらたくさんの人が助けられるといえ、この1人の犠牲は許しがたい。しかし私たちがこう思うのはなんでなんでしょう?こうみると数の原理以外にも私たちがベースに持っている倫理観は他にありそうです。

 

 

 

ãheal anything with handãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

では続いて、

ルークという不思議な力を持った男がいるとします。彼はただ額を触れるだけで誰でもなんの病気でも治す事が出来ます。さて、もし功利主義が正しいとすれば、彼が休暇を取るのは倫理的に間違った行為でしょうか?彼が休暇を取るたびに助けられる人の数が減ります。

 

この辺まで来ると少し何かわかってきそうですよね。

 

つまり個人の選択の自由やオートノミーも大事だと私たちは思っているということがうっすら見えてきました。

オートノミー:「自分の行為を主体的に規制すること。 外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること。」 であり、哲学分野での用語としては「カントの倫理学において根本をなす観念。

 

できるだけ人を助け、救い、幸せにすることで世の中をよくしていくことは大事ですが、同時に個人の選択の自由や、他人にコントロールされず自分の幸せを追い求めることも大事ですよね。

 

 

ãwhite lives matterãã®ç»åæ¤ç´¢çµæ

 

そしてこれはどうでしょう。

ある白人がある黒人によって殺害されました。それから街の白人たちがこぞってプロテストや暴動を起こし、街は緊張感に包まれていました。そんな中その街にふらっと黒人のホームレスがやってきました。この黒人のホームレスは無実ですが、この人物を有罪として牢獄に入れればさらなる暴動による殺人や殺傷、建物の破損、損害を防ぐ事が出来ます。無実のホームレスの黒人に濡れ衣を着せるべきでしょうか?

 

権利も自由もあったもんじゃないですよね。功利主義は、ここまでの最悪のケースを倫理的に正しいと容認出来てしまうことになります。

 

私は権利や個人の選択の自由やオートノミーが重要とするのでこのようなケースを正しいとはしませんが、私たちの直感でこういったケースを正しいとしている場合はたくさんあります。そして時にやむを得ないから仕方がないと思う場合も少なからずあるので功利主義は明らかにおかしい!とは言い切れないという人もいると思います。

 

 

ここら辺でじんわりと浮き上がる疑問は、「私たちは世の中に存在する自分以外のことにも責任を持たなければならないのか?」ということです。みんな一致で人を助けることはいいことだとしますが、どこまで自分を犠牲にして責任を持たないといけないのでしょうか?

 

ここが倫理の難しいところです。私たちの頼る「道徳的な正当性」と現実世界のケースでの「道徳的な行い」が違ってしまう場合が多いのです。

 

 

 

よくインターネットで "なぜ動画をとってるだけでこの人を助けなかったのか?" って議論見かけますよね。助けるか助けないかは個人の自由。そもそも自分以外の世の中の動きに責任をもつ必要はないから。と私は考えています。

 

私は、この選択できる自由とオートノミーに「人間であることの価値」を見出しているので、以上のどのケースでも何もしないことか、何もしない事が出来ない場合は自殺するという選択肢を選びそうです。一番初めのトロッコはレバーを押す事が他殺になってしまうので何人亡くなったとしてもトロッコの事故の責任です。私の責任ではありません。

 

 

もちろんこの私の考えで、私の人間的な直感と現実世界での行動と一致するかはわかりません。やはり直感的に数の原理を使ってしまうこともあるでしょうし。

 

でももし何もしなかったことで絶望的になる事があったとしても、そもそもこの世の全てのことに責任を感じることはないし、何もしなかった事が倫理的に間違ってることもない。

 

以上のケースば全て、どっちに転がっても倫理的に正しいかわからないという究極な状況なのでね。

 

 

まあそんな感じで倫理のことを語ってみましたがいい感じに疲れて何書いてるかわからなくなってきたのでこの辺で… 

 

あでぃおーす!

【質問受付記事】オランダ留学と哲学専攻について!

f:id:allyryugaku:20190305061818j:image

 

 

こんにちは〜

私です。

 

 

毎日60+ページのリーディングや復習などがあって空いてる時間はとにかく寝たい最近のAllyさんはブログを書く隙が最近ないです。。。

 

 

 

で。

 

 

また質問を受け付けたいと思います!!

 

 

今回はオランダ留学と哲学専攻についての質問のみで!

 

大学編入やコミカレでの勉強法などはもうすでに散々書いたので!笑

 

 

もし何かこの二つのカテゴリーで質問などがある方はこのブログ記事のコメント欄にお願いします〜!

 

これ質問くるかほんとわかんないけど、

 

 

とりあえずやります〜!

 

返信はできるだけ早めに記事として書くので、みなさんもし何かあればコメントよろしくお願いします〜〜〜〜!

 

 

では!