18歳として見るもののけ姫
こんばんは!今日は大好きなジブリについての記事なのでワクワクしてます!
もちろん久石譲今流してますよ?今は夜の10時半なのでアパートのスタディルームが閉まっていて、外のソファで書いてます。気温もいい感じだしクッションがよき。プールサイドは微妙に暗いのでね。
先週末にルームメイト達ともののけ姫を見ました。
私はもののけ姫はグロくてトラウマちっくな感じだったんですけど、いろいろと日本の思想哲学を勉強した今だからこそ深く考えられるんじゃないかと思い、この時を楽しみにしていました〜
なので18歳としてのもののけ姫の考察を徒然なるままに書きたいと思います。
あらすじ分析
まず見はじめて頭に浮かんだことは『アニミズム』と『神道』です。
アシタカのいた村ではまだまだ加持祈祷や呪い(のろいじゃなくてまじない)が信じられていて、さらにサン(もののけ姫)の森では様々な自然なものに魂が宿るというアニミズム的な世界が広がっていました。
コダマが木の精霊でほぼ全部の木にいるというところが多神教的な神道についてをよく表していますね。
基本的に、デカルト的二元論がもたらした機械論的自然観まではいかないものの、自然を人間が支配できるという考えをもった人間 VS 自然(や神) の二項対立で話が進んでいきます。
そしてアシタカが劇中で発した『人間と自然がともに助かる術はないのか!!』みたいな言葉通り(ごめんなさい調べたんですがわかりませんでした・・・)アシタカは唯一人間と自然の共存を主張していました。
エボシ率いる人間側は森林伐採をして森を開拓してタタラ場を作りました。技術的なものを入れることで自然との対立をさらに強調したかったのかなと思いました。そして、それによって利益を受けていることで更に自然に対する人間の醜さというものを強調したかったようにも思えます。
しかしここがナウシカ的な「人間は悪で、自然こそが善」という単純な思考ではできていないところが面白いところです。
エボシは女性や病気に苦しむ人、つまりその時代でいう圧倒的な社会的弱者をかくまってその人たちに仕事を与えていました。そのために下界から離れた山奥に村を作り、閉鎖的にその人たちを守っていました。
一方でサンたちは自分たちの自然を守るために人間たちと戦います。サンは人間でももののけでもない中途半端な存在で、ある意味タタラ場の人たちと同じ「アウトサイダー」的な雰囲気も感じました。
ここが難しいところです。
なぜならばこれは正義と正義のぶつかり合いだからです。
どちらも間違っていない。
これは現実世界でよく見ることですよね。
例えばユダヤ教徒とイスラム教徒のイスラエルをめぐる紛争。どちらの意見も正しくてどちらも間違っていない。
だからこそどうやって共存して行くのかを考えることが大切だという結論にもののけ姫では至っていると思います。
まあ、最終的にはアシタカが「サンは森で、わたしはタタラ場で暮らそう。共に生きよう。会いに行くよ。ヤックルに乗って。」と言ってるので、間接的に別々は存在出来ても一緒に共存するのは無理だと言ってると私は捉えましたけど。
個人的に胸に刺さったセリフ
わたしがグサッときたセリフはこれです。
「生きてりゃなんとかなる」
「生きろ、そなたは美しい。」
1つ目の「生きてりゃなんとかなる」はタタラ場の村人がさらっと言った言葉です。
ありふれた言葉のように見えますが、劇中の自分たちのせいで全てが壊れてなくなってしまったあとに言った言葉でこれがもののけ姫でのメッセージのような気がします。
どんなに壊滅的な状態になっても、私たちが生きてる限り、何か次の策を考えてどうにでもいい方向に持っていける。
という。
2つ目の「生きろ。そなたは美しい。」
森を守っているのに中途半端な立場ゆえに猩々たちや人間たちに批判されているサンが死のうと思った時にアシタカが放った言葉で、こんな美しく力強いシーンを創り出せる宮崎駿は天才が過ぎるなと感動せずにはいられませんでした。
その他の感じたこと
もののけ姫を見て思ったことは、人間と自然の共存なんて人間が一方的に考えてるもので、自然にとってみたら取るに足らないものなのかなということです。
劇中でも自然は圧倒的な存在として描かれていますし、やはり人間が自然をコントロールできるなどといった考えは間違っていますね。
そしてもののけ姫の話のなかでは少なからず無常観が入っていると思います。築き上げたものが全て壊されどうしようもないことが次々と起こるのに時は平然と流れでいく。
このどうしようもないことに立ち向かって打ちのめされたとしても、生きてりゃなんとかなる。だから生きろ。というのがメッセージだと思います。
まとめ
もののけ姫はいつの時代に見てもその時その時の時代にフィットする不朽の名作だと思います。
そして、これだけアニメに日本の宗教観が出てるのってジブリくらいだと思うんですよ。しかももののけ姫は特別に深い。
日本人にとって森や林は本当に暗くて、入って行くと何かいるって感じで、怖いというある意味尊敬の念がありますよね。それが原始宗教のアニミズムで、“何かがいる”みたいに自然とは混沌としたものだと宮崎駿は言っていました。
さらにもののけ姫が深いのはそれだけでなく、自然を破壊する人は悪い人で自然を守る人はいい人と言うような単純な善悪で物事を判断することへの疑問を投げかけているから。
人間と自然の関わり合いというのはもっと深くどうしようもないものであって、簡単に結論を出すことの出来ないものだという態度がより一層もののけ姫の深みを増していて、互いの犠牲を理解しながら妥協点を探して共存して行くという大きなテーマを掲げています。
いやあ、もう深すぎて凄い以外の感想が出てきませんね……笑
もののけ姫は細部を考えれば考えるほど全てに意味がある映画なのでまた数年、数十年後に見てどんな感想になるかが楽しみです!
書きながら寝てしまったのでまたグダグダとしちゃいましたが、ただの備忘録として書き留めておきたかったので。
はあ、やっぱり日本の宗教観や思想哲学は面白いです。
ではでは、そろそろ寝ます。おやすみなさい!