超サンフランシスコ〜な日
こんばんちゃ!めちゃくちゃねむいです………
今はサンフラに行ってきた帰りの車の中です〜
いつもの仲良い🇸🇬🇻🇳🇨🇳🇯🇵で行ってきた!
なんか最初ブランコ乗りにサンフランシスコ行こうって言われて、は??笑 ってなったけど冗談じゃなかったらしくて今日行ってきた笑
もーね。ホームレスばっかりの街ってイメージがほとんどだったんだけど、ちゃんとゴールデンゲートブリッジのすぐ近くのサウサリートってどこらへんにいくと本当に綺麗すぎてやばい。
友達の写真はあげないでおく!
そしてほぼハイキングみたいな感じでめっちゃ歩いてめっちゃつかれたのだけど、ついにブランコの場所へ着いた時はもう六時でした〜
……っていう!!
このブランコのためにきました。笑
ま、でも今日は超楽しかった!!リアルに!
友達とならどこ行ってもだいたい楽しいね〜
そんで帰りにサンフラのシティの方で安定のコリアンフードを食べて今に至ります〜
いやね、今日はサマータイムが始まる日だったんですよね!だから夜中に2時だと思ってたら3時で、は?!ってなったんだけど、時計が1時間前倒しになるので今日は実質23時間ってことでした!
ま、そんな感じでいい週末だった〜ひひ
明日からまたがっこー頑張ろう……
ねむ。
ではでは〜
自由を強制される不自由
アメリカは自由であることが強制されすぎてる気がする。
アメリカは人種もなにもかもが多種多様だから、自由でないとやってらんないのかもしれないけど、自由でないといけないっていうプレッシャーをカリフォルニアでは特に感じる。
LGBTをはじめとする社会的マイノリティは、やっぱりマイノリティであって、大多数とは違うわけだから、容認されない社会を責めるのはお門違いだと思う。
それで活動をしてる人たちはもちろん素晴らしいけどもね!!
LGBTを例にとって言うと、それを生理的に本当に受け付けない人もいるわけで、逆にそれをリベラルじゃない!!って批判するのこそリベラルじゃない。
寛容であるって定義難しいよね。
寛容であるために寛容でない人に寛容でなくなるんだもん。
見たものをそのまんま見たまま飲み込めるってのが本当の自由主義だよね。
でも寛容であることは本当に良いことなのか?っていう疑問が頭に浮かんだ。
日本でLGBTだとかジェンダーだとかが問題になるのって完全にアメリカナイズされた結果じゃん?いちいち比較して自由にならなければならないって強制されるのってむしろ窮屈じゃないかな?
確かに自由で寛容な社会はいいかもしれない。でもそれのせいで失われてるものもたくさんある。特に考え方。
歴史ゆえの日本人の考え方を持ってるのに行動だけを違う形で遂行していくことのギャップはこれからなにを壊してなにを生み出していくだろう?
日本人はそのギャップに耐えられる性質を持っているから、そのスキルがこれからどちらを多く生産するだろう?
正しいことが社会的に良いことだとは限らないし、自由が正しいことかもわからない。
全員に利益な社会なんて存在し得ないし、言い方悪いかもしれないけど、マイノリティは自分可哀想で社会のせいにする前に、それが当たり前なことだと受け入れて、解決策を考えて前に進めていく必要がある。
それはなんでもそう。
そしてリベラルというのは、リベラルであるということで自分をよく見せるためにつかう道具なのではなくて、目の前のことものを見たまま飲み込んで消化することだ。
だから自由という言葉の元にすべてが正当化されるような、道具としての自由はなんかおかしいし、自由であることを強制される社会はとっても不自由だと感じた夜でした。
では読者を意識した記事はまた今度から書き始めます。お休みなさい〜
自然ってそんなに保護すべき?
こんばんはー!
哲学とか自分が興味深いと思う授業を今学期はそんなにとってないので、哲学的なことを考えなさすぎてなんかつまんないです。
やっぱ人間のことを考えてる時がやっぱり超楽しい!
でもやっぱり考えるためにはなにかしらのインプットがないとだからやっぱり取る授業はほーんと大事。
まあ、そんなに面白くないうっすい内容ばかりをやってるHumanityの授業で最近扱ってるトピックについて考えたことをまとめたいと思います!
今週のトピックは「私たちは自然と深く密接してるから自然をないがしろにするな」みたいな感じのです。
デカルト的二元論(全ては善と悪や、物体と精神など、2つの相反するものもしくは2つのものに分けて考えられるっていうやつ)の登場から、自然は人間が支配するものみたいな機械論的自然観が西洋社会を中心に、産業革命期頃から広く社会に蔓延していったっていうのは知らなくてもなんとなーーくみんな感じますよね。
"MOTTAINAI"が世界標準語になったのはその機械論的自然観は違う!私たちは自然とつながっている!っていう思考を取り戻そうという考えが社会でホットになり始めてからですよね。
日本っていう国は自然が身近にずーっとあったこともあるせいか、そもそもそんな二元論的に考えるということすら頭になかったわけです。
西洋と日本の庭園を例に取るとわかると思うんですけど、ヨーロッパとかの庭はぜーんぶ完璧に計算されていて完璧に”人工的”なんですよ。
これは自然は人間が支配するものという思想が根底にあるからなんですよね。
でも一方で日本庭園を見てみると・・・・
もともとそこにあるかのように表現するのが日本でいう美なんですよね。
でも西洋の影響で日本はどんどんその価値観を失いつつある。
まあ、そのおかげで新しい価値観がたっくさん生まれているので一概に良いだとか悪いだとか言えませんが!
まあ、このように産業革命期以降、自然は壊しても人間だからいい!っていう考えが広まるようになるんですね!
それを違うんじゃない?って疑って是正していこうっていうのが近年の動向です。
そして授業もこんな感じで自然破壊はよくなーい!みたいな感じなんですけど、本当にそうなの?て思いました。
だって人間と自然はつながってるっていうなら私たちは自然の一部ってことですよね?
ってことは私たちの行動もそもそもは自然に基づいた本能から生み出されたものであって、私たちが自然の一部と主張するならば私たちの存在も行動も全て自然の一部ってことになるじゃないですか?
そしたらいくら私たちが自然を破壊して他の生命を圧迫したとしても、それは自然界の理であって、むしろ人間だということを棚に上げて「動物かわいそう・・」って思うことの方が不自然じゃないんですかね?って思います。
しかも生きるものは全て他の生命を圧迫して生きています。他動物の環境破壊は許されるのになぜ人間は許されないのですか?
これに対して、自然破壊のレベルが違うという人もいますが、うん十億年の地球の歴史で私たちが及ぼす影響なんて本当に少なくて、それこそ人間の基準で測ってしかいないと思います。
私たちが自然界の一部であるのならば、弱肉強食という根本的な自然界の理も当然当てはまります。
なので極論を言ってしまうと、何をしたとしても下が変えられる術を持っていないのであればそれは仕方がないということです。
そもそも私たちは自然とそんなにつながっているのでしょうか?
確かに人間の起源とかを考えれば、そりゃあつながってます。でも生死自体がとてつもない神秘なので、言語を用いてバラバラのものを”自然と、宇宙とつながってる!”って結んじゃってる気もします。人間はいろんなことを意味づけすることで安心する生き物なので。
でも私たちの生きてるこの地球自体が自然の意思で動いているので一部であることはもちろんなんですが、つながってて、だからこそ大切にしなきゃいけないってのはなんか人間の勝手なエゴなんじゃないのかなって思っちゃいます。
そんなことを考えていました!
まあ、考え方については批判的ですが、環境保護とかそういう行動自体にマイナスはないのでいいと思います!
なーんかごちゃごちゃしてますが、この思ったことを乱雑に吐き出すのが私のブログなので暖かく見守ってください笑
やっぱ人間とか世界について考えるの最高にたのっしいいいいいい
次の考える系の記事は「世界は偶然でできているのか?それとも必然でできているのか?」っていうの考えたいです〜
ではでは今日はそんなところで!
クラス登録の日 (registration day)
こんちゃ😛
あの後結局プロフェッサーが次の日にオープンノートオッケーのテストにしてくれて、おかしいことはおかしいって主張するべきだな〜!!と深く思いました!!
23000文字打って本当に疲れましたが多分Aとれたかな〜ってかんじですな!!
さてさて、昨日は三時半から次クオーターのクラス登録がありました!
何日の何時からっていうのは優先順位があって、留学生かどうか、何学期目か、成績はどうか、今までどんな感じの難易度のクラスとったか、みたいなのでランクされるんですよね!
そしてわたしは友達とかの中でも一番早かったのでいぇーいって感じですね!へへへ
次取ったのは
English
Math
Philosophy
Psychology
ですね!
Philosophyは前回時間の関係で諦めた演繹論理学!
ああああああああああ
ついにこれを本当に取る時が来たか…って感じなんですけど、春クオーター終わってこれ解けるようになったら神になれる気がするのでがんばります😭
論理学は哲学のコアパートなのでやらざるを得ないまじ。なのでがんばります。
Psychologyは脳とかそーゆーのは本当嫌いなので普通のやつじゃなくて introduction to Humanistic Psychology っていう人間性心理学?みたいなやつをとりました!
哲学とか人文に通ずるところがあるっぽいのでとっても楽しみです!!
わたしどのクラスでも〜01って好きじゃないんですよね。
つまり
Psychology01とかHumanity01とか!
そーゆーのって全部General psychology とかそんな感じのジェネラルなやつなんですよねー
私は全然知らない分野でも〜07とかが好きです。Anthropologyならintroduction to archaeologyとかBiologyもMarine biologyとか!
だから今回の取ったクラスは本当楽しみですね〜ひひひ
哲学で死んでる姿が目に浮かびますがね〜
まあでも、Anyways! とりたいクラス一個以外全部取れたのでいいかんじですな!
では!
おかしいことはおかしいと言う
こんばんは。月曜日にあるHumanityのミッドターム勉強に追われています、ALLYです。
もうね、EasyAで有名なプロフェッサーだったんだけど今学期からシラバスを変えたらしくもうは?!?!って感じなのです。
ごめんなさい、愚痴らせてください。
なんかそもそもHumanityっていうかPsychologyってかんじなんですよね。Humanityだったらわたしの大好きな分野なのでいいんですが、ほぼ脳とかのことやってるんですよねーー
しかも教科書として使ってる二冊の本もなんか例で数学とか物理とか量子力学とか応用化学とか出してくんですよ。
んでエグザムはもともと問題が提示されてるんですけど、詳細まで細かく書かないと点きっちりもらえなくて、そもそもあの小難しい本の内容と例と詳細を問題に合わせて答えるだけでも大変なのに、それをそっから全部暗記しろって無理なんですよ!!!!!!!!!!!
main ideaだけを書けならいいんですけど、detailも書けって本を暗記しろってことか!!
って感じでおこでございます。
それがちょっとunfairで頑張った人も報われないんじゃね????って思って友達にテキストしていや、直訴するしかないっしょ。ってなってemailプロフェッサーに送りました。
内容はほぼ上記の通りなんですが、
(英語からの訳しなのでなんか変なとこあるかもですがスルーで)
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こんばんは、Allyです。
ミッドタームに向けて勉強してたんですが、解くだけでも本を何十ページも読まなきゃいけなくて、しかもプロフェッサーは授業でそんなに解説をしませんよね?それを解いてからテストのために全て覚えられる気がしません。
引用などはほぼ完璧に書かなければいけないのに、数文忘れてしまったら全く意味をなさなくなってしまいますし。
わたしはテスト勉強を通してだけでもたくさん学びました。しかしそれを暗記したかしないかで点数をつけるのはフェアじゃないと思います。
なぜならそれはただの暗記トレーニングであって、完璧に勉強したことをかける人はクラスにほぼいないと思います。
なので私たちがクラスに勉強したノートをヒントとして持ち込むことを許可してほしいです。それなら、勉強しなかった生徒は準備が足りなかったということで悪い点数になりますし、十分に勉強して準備していった生徒はいい点を取れます。
わたしは留学生ですが、ほとんどの友達がその暗記の部分で手こずっています。
あなたの授業でweek4にやった「教育について」のチャプターでいろんなことを考えさせられていろいろ学びましたが、この暗記のパートは文字通り授業であつかったダメな例と同じだと思いますし、フェアではないです。
プロフェッサーがわたしの、いや私たちの声を理解してくれることを願っています。
ありがとうございます。
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っていう。
ほんとうこれが聞き届けられるといいなーーってかはやくプロフェッサーがこのメールをチェックしてくれるといいなーってかんじですね。
いやあ本当、意味がないことに時間をさくのは無駄ですね。勉強のパートはもちろん無駄じゃないんですが、テストのためにEVERY SINGLE DETAILSを暗記しなければならないってのが完全に無駄です。文章暗記できるわけがない。
そして前回めっちゃ頑張ったのにギリギリの点数だったし、こんなのおかしい。
こんな一般教養の授業でA落とすとかありえないので真剣です。
シラバス変えたばっかでプロフェッサーも手探り状態だと思うのでどうかOpen noteにしてくれますよーにって感じですね。
本当切実。
ではでは、いまからカフェから家に帰ってまた勉強しまーす。
じゃ!