シリコンバレーの大学生日記

シリコンバレーのカレッジに2016年秋に入学し、2年後カリフォルニア大学へ編入する留学日記で…。したが、なぜかオランダのLeiden Universityに2018秋に入学することになり最近は弁護士になりたい私のジャーニー記録です。Twitter @Japan__America

地獄の夏の終わりが近づいている

 

 

こんちは。

 

死んでます。Allyです。

 

 

 

夏学期ってことで1ヶ月半で3ヶ月〜5ヶ月分の内容を終わらせなきゃいけないので毎日課題とテストに追われて忙しくて死にそうです。

 

 

ブログでストレス発散したくても、書く時間がなにしろなくてやっと休み時間に書いてます。

 

 

ちなみにこの記事は前半愚痴まみれです。

 

 

 

とりあえずバークレーの授業は1ヶ月ちょいでノート一冊半と四色ペン全部使いきりました…

 

English writing 1A はオンラインなんですけど、毎日4つくらい課題があって、日曜日まであるんですよ…本当にウザかった…

 

 

でも頑張った甲斐あって、English writingは今の所 97%でA+ でバークレーの論理学のクラスは88%でB+。

 

どうしてもAが欲しいから、明日提出の課題と明後日のファイナルのテストでいい点を目指します。

 

 

 

とにかくバークレーで住んでる家がヤバすぎる。

 

本当ちっちゃくて、キッチンとバスルームと全部合わせて6畳?くらい?なのにクッソ高い。

 

キッチン狭すぎて何も作れないし、狭いからロフトが寝るとこなんだけど、この前ネズミが出て、パニックになって震えと寒気とめまいが止まらなくなったし、蜘蛛は住み始めてから50匹は殺した。

 

 

なんかもう治安も良くないし、色々でバークレー行きたくなくなった…

 

 

あと9月にまた引っ越してアパート出るので、契約が切れる10月まで住んでくれる人を探さなきゃいけなかったり、契約を更新するかそのまんま切るかわかんないのでもし更新すんならその後住む人をまた探さなきゃいけないし。

 

契約云々まじめんどくさい…

 

今週末もオープンハウスで部屋見にくる人いるし。

 

部屋の又貸し関係がまじでめんどくさいんだよね。そうしないと住んでないのにめっちゃ高い家賃払わなきゃいけないし。

 

まあ、そんなのももうすぐで終わりだ。頑張ろう。

 

 

なんかさ、留学ってほんっっっとに予定通りいかないもんだなってすごい思った。そして自分が少しでも違うなって思ったら、道を変えるのはやっぱ辛いけど、覚悟を持って視野を広げることが大事。

 

 

この前本帰国した元ルームメイトは、アニメーターになりたくてアメリカに来たけど、一年経った後に色々考えた結果日本に帰ることに決めた。

 

家庭の事情で本帰国せざるを得ない人も何人か見たし、自分見つめ合う時間が多いからこそ、自分のやりたいことは違うかもって道を変えて行く人を何人も見た。

 

 

私はUCバークレーに入るために来た!って言ってたけど、そういうことで自分の可能性や本当はどうなのかってことを狭めて居た気がする。

 

 

 

前に2つ前のルームメイトの友達になんでバークレーなの?って聞かれたことがあって、「自分の可能性の中でいつでも最高を選択して居たいから」って答えた。

 

それは、そう。今でもずっとそう。でも、その最高が誰にとっての最高なのかを考えなければいけない。

 

自分にとっての最高ってなんだろうって。

 

ランキングなんかにこだわって本来の目的、勉強しに来た、っていうのが微妙だったら本末転倒。環境が全て。

 

 

だからわたしはUCバークレー合格は目指しても、行くかどうかはまだわからない。

 

 

ブランドなんかよりももっともっと大切なことに気づいたから。

 

 

どこかの大学編入を目指してる人は夏の授業を取ってみるといいと思います。二年間そこで暮らして勉強しなきゃいけないわけだから。本当にこれはオススメします。

 

 

わたしみたいに考えが180°変わって、もっといろんな可能性が見えてくるかもしらないから。

 

 

とりあえずあと2日で夏休みなのでがむしゃらに頑張ります。そしたら解放されて遊びまくります!!

 

メリハリ大事!切り替え大事!おもいっきり勉強しておもいっきり遊ぶ!!

 

 

えいえいおー!

私は本当にUCバークレーに行きたいのかな

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こんにちは。課題に毎日追われてるAllyです。

 

 

アパートの一年契約の期限が近づいてきて、今のシリコンバレーのアパートから引っ越すと思うので次に入る人を探さなきゃです……

 

引っ越ししまくってるなわたし。

 

あとわたしが主契約者なのでそれも移したり、今の所ルームメイトが本帰国した関係でルームメイトがいないので、そこをどうにかしないと月に1300ドル払う羽目になる……

 

 

まあそこは多分なんとかできるんですけど、なんとかするまでの過程がもうストレス。

 

 

そしてバークレーの授業だんだんめっちゃむずくなってきてるし、DeAnzaのオンラインの授業は課題めっちゃ多いしめんどくさいし全てがUnclearだしプロフェッサーまじでdumbだし………

 

 

ストレスがハンパないです。

 

 

そして本題に入るんですけど、わたし、本当にUCバークレー入りたいのかわからなくなってきました。

 

 

もちろんGPA維持のために高い目標を持って、バークレーから合格通知をもらうことが一番の目標です。

 

それは変わりません。

 

 

でも実際に通ってみて、勉強する環境がわたしには全然合わないんですよね。

 

住んでるところもなんでしょうけど、まず治安が悪い。

 

 

そして知る限りの教室は黒板を使ってて読みづらいし、とにかく人数に対しての教室の規模が小さい。机も高校の時音楽室で使ってたような椅子に小さい机がくっついてるようなのだし、勉強するスペースがあまり校内にない。

 

 

学費がすごく高いのに対して環境が…っていうのが一番の問題。

 

そしてすっごく小さいアパートなんかでも、サンフランシスコとかベイエリアに近いからってことで高い。

 

 

 

私立の大学も学費そんなに変わらないから(UCみたいな公立は留学生バカ高いけど、私立は留学生も現地生もどちらも変わらずバカ高いから結局留学生にとっては値段は変わらない)

 

他の大学も考えることにします。

 

 

自分の限界を知りたかったし、自分を試したかったからこれからも変わらずバークレー合格は目指すけど、もし受かったとしてもバークレー行くかどうかは本当にわからない。むしろ行かない選択肢のほうが今は大きい。

 

 

環境って本当に大事。私はバークレーに編入しにアメリカに来たけど、その大元の理由は勉強したかったから。

 

 

しっかり勉強するためには、私にはバークレーは合わないってわかった。これならシリコンバレーのほうが勉強しやすいし、勉強してて気持ちいい。

 

 

ランキングなんて信じるのがもう本当に馬鹿らしくなった。

 

 

世界ランキング上位30位以内ならどこ行っても同じ。

 

ランキングなんて毎年変わるし、去年世界6位だったのに今年世界28位とかザラにある。ランキングなんて本当相対的だし、そんなんなら確固たる自分を信じたほうがいい。

 

 

勉強をしたいから日本を出たのに、ランキングにこだわって本意がずれてしまうことが本末転倒すぎて。

 

 

他のUCと私立を夏に回って9月末までにはどこへ出願するか決めることにします。

 

 

 

それに私は在学中にビジネスパートナーとリサーチとマーケティングプランと資金を完璧にして、卒業したらアジアでフランチャイズ始めたいなって思ってるから、本当に学べることは全て学びたいんだよね。

 

 

なんか、最近本当にランキングとか知名度とか馬鹿らしくなってきた笑

 

 

自分にとってお金を出す価値のあるところを見つけて貪欲に吸収して行くほうが、ここ無理だなって思うところにお金をつぎ込むより全然価値がある。

 

 

本当にこれでいいのか?とかいちばん大事な物事の根本を疑っていなかったわたしは哲学専攻失格ですね。笑

 

 

 

今日は彼氏の誕生日なので、授業のあとサンフランシスコにディナーに行ってきます!

 

 

それを楽しみに今日も乗り切ろう!

 

では!

 

 

Remember why I started アメリカに来て一年が経ちました

 

 

去年の7/23の今頃は羽田空港からサンフランシスコ空港について、ホストファミリーの家でぐっすり旅の疲れを癒していたところですかね。

 

 

こんばんは、11:59までのエッセイをギリギリで終わらせてもう死にそうなAllyです。

 

 

今日、7/23でアメリカに来て一年が経ちました。

 

 

短かったようで本当長かったです。このブログではほんと弱音ばっかり吐いてて情けないんですけど、1年間楽しいこともたくさんありましたが、基本は辛かったです。

 

 

来たばかりの7月。何もかもが新しくて新鮮だった。カリフォルニア自体初めてだったし、親元を完全に離れるのも初めてだった。でもそんな中でも、ホストファミリー問題や銀行問題でずっとストレスを抱えていて、ママと電話してたときにどうすればいいかわかんないって泣いちゃったこともあったっけな。そんなことで泣けるなんてわけーなー。(たった1年前)リクルートから始めてライターのお仕事をもらって、ゲットした2万5千円を両親に送ったのも懐かしいな。

 

 

そして徐々に街に慣れ始めた8月。日本食が死ぬほど恋しくなったけどUberの存在をまだ知らなかったから、ホストマザーのくっそまずご飯を仕方なく貪って、体重が4キロほど減った。そして、学校が始まるまでの何もしていない間、自分って何してんだろうってすっごい悩んだ。専攻をビジネスから哲学に変えたのもこの8月だったなあ。

 

 

やっと学校が始まった9月。学校初日から一週間はひたすら遅れないようにって2時間も早く学校に行ってたな〜笑

 

 

10月。早速授業でつまづく。秋学期にとった授業が、哲学 / 世界史 / 文化人類学 / 人文 で、一学期目からめっちゃハードな学校生活だった。どうしたら勉強したらいいのかもわからず、友達もおらず、一学期目からもうバークレーなんて無理だーって毎日なやんで結構自分にストイックだったな。効率は悪かったけど笑 ほどほどに友達と思いっきり遊んだりしたけど、遊んでちゃダメだって遊ぶことすら自分を戒めて。文化人類学のプロフェッサーに悩みを打ち明け始めたら全部止まんなくなって超泣きながら全部ぶちまけたな。そのときに、人って他人に頑張りを認めてもらわないと壊れちゃうなーってすっごい思った。「あなたは頑張ってる。そのままでいいんだよ。」って。そして念願の引っ越し、初アパート生活、初ルームシェア。嬉しかったけどルームメイト探しと契約本当大変だったな。懐かしい。

 

 

11月。このときがマックス病んでたかも。2回目、3回目のミッドタームが終わって哲学の授業が全然うまく点数とれなくて。サンボマスターの「できっこないをやらなくちゃ」を聞きながらもうダメだ無理だって、アパートのスタディルームで友達とオール勉強したり毎日遅くまで勉強してたり。自分の19歳の誕生日もスタディルームですごしたなー。日本にいたら誕生日おめでとうラインとかを12時ぴったりに誰かから送ってもらえるのをちょっと期待もしてたけど、アメリカで時差があるし、超仲良い!みたいな人もいなかったから誕生日はもう正直どうでもよかった。誰かから祝ってもらえることなんか微塵も考えてなかった。でも友達がサプライズで家に来てくれて、嬉しかったなー私のことアメリカでも考えてくれる人なんているんだって。すっごい孤独だった。

 

 

12月。初めてのファイナル。これも超辛かった。UCバークレー固執しすぎてて、これがダメだったら終わりだって毎日考えてた。 

allyryugaku.hatenablog.com

 でもこの学期が終わった時の達成感は筆舌にも尽くしがたいものがあった。100%の力を出し切ったからこそ見えたものがあった。

 

でも今でも、てか今日も思ったけど。いや、結構アホかもしれないんだけど。なんで私アメリカにいるんだろう、ってよく思う。ていうか、日本語だったら自分の言いたいこと、自分の知識、全てフルでできるのに、なんで全部英語なの。って。隣に座ってる人だって、私も母国語でやったら勝てるのにって毎日思ってる。日本語で授業受けて、日本語で議論して日本語でレポート書いて・・・って。

 

私は基本的に書くことや、自分の考えをまとめることが好きだから、英語でのもどかしさはアメリカにいる限りは消えない。今日もエッセイ書いたけど、自分のライティングのできなさに未だに落胆する。すっごく悔しい。自分の言いたいことが日本語では簡潔にかけるのに英語ではできない。言語の壁ってだけで私の思考が否定されるのが悔しくてたまらない。本当に悔しい。アメリカを選んだのは自分なのに日本に帰って大学生したいって何百回思ったことか。

 

 

1月。2学期目が始まった。1学期みたいに、効率が悪くならないよう、情報を集めて戦略に重きをおいた。そのおかげもあってか楽しんでいい成績を納めていくことができたし、心に余裕ができた。

 

 

2月。そんななかで一人のアメリカ人に会った。とにかく初対面から喋りまくるような人で相当なおしゃべりな私にも勝るおしゃべりだった。日本の大学も行ってたり、日本語も話せたりしたからお互い意気投合してそのまんま何回か遊びに行った。バレンタインにディナーに誘われて行った時はそのあと車の中で4時間とか5時間とか話してた気がする。彼といる時は学校とかのストレスが和らいで不思議とリラックスできた。

 

 

3月。その彼と付き合うことになった。私はアジア人がその前までは好きだったし、白人はみんな日本人女は軽いって思ってそうでなんとなく好きじゃなかったからなかなか予想外のことだった。それに私もそう見られたくなかったしね。でも親友とか家族とかに感じるような居心地の良さを出会ってすぐに感じられるような不思議な人だなって思った。何もかもが似ていて、すぐに打ち解けたし、とにかくとにかくとにかく優しくて性格がよくて。冬学期の終わりも近づいてきて、わたしのストレスもどんどん増してきてる時も自分のことのようにいろいろ手伝ってくれて。どんなときも相手のことが考えられる素敵な人だなーって付き合い始めたばかりの頃ひたすら思ってた。

 

 

そして4月。ようやく春休みになって、落ち着いたところで彼が私をサプライズディナーに招待してくれた。パズルとパズルがぴったりハマるような居心地の良さをお互い感じていて、ちょっと時期的に早かったけどディナーのあと彼の実家に遊びに行った。まあ、実家がオーシャンビューの素敵なところだし楽しいから行ったってのが一番だったけどね。でもその時からお互いの気持ちを再確認してこの関係が真剣味をました。学校は秋にとった哲学のB以外は全部Aで、とってもとっても安心したのを覚えてる。春学期は難しいって言われてた論理学と人間心理学っていう哲学の実存主義みたいな授業をとった。まだ不安だった。

 

 

5月。彼も哲学が好きでいろいろ議論するのが楽しみの1つでもあるんだけどこのぐらいの時からただの深い話じゃなくてアカデミックな深い話とかもし始めた気がする。環境とかバックグラウンドとかが似てたから結構同じような立場で、ぶつかり合いになることはなかったかな。お互いくだらない、脳みそ壊れるようなバカな番組が好きで、アメリカの深夜番組をジャンクとか食べながらよく見たな〜このくらいから学校でどうやっていけば効率がいいかがだんだん掴めてきて、自分を追い詰めることも少なくなってきた。自分を認めてくれる絶対的な存在ができたからっていうのも大きいかな。

 

 

6月。日本と日本の友達がすごく恋しくなってきた頃。とにかく日本にいる友達が羨ましくて、日本に固執してた。ルームメイトで一番仲がよかった子が急に本帰国を決めたのも6月でしたね。その子含めた留学生友達がアパートから立ち退き命令くらって、裁判所に呼び出し命令されたりもする中、ファイナルもあったりでバッタバタだったのをおぼえてる。彼氏も親身になっていろいろと助けてくれたなあ。

 

allyryugaku.hatenablog.com

 

 

そして7月。7月の頭にルームメイトが本帰国してから、LA行って、そのまんまバークレーの授業やDe Anzaの初めてのオンラインクラスが始まったりでこれまたバッタバタだったなあ。そのあと引っ越ししたりでやっと最近落ち着いてきた。本当毎日もうやめたい帰りたいって思ってるし、なんなら日本が恋しくてしょうがない。人に会いたい。何回会いたい人が夢に出てきたことか。そして最近成人式に一時帰国することを決めた!本当に楽しみで仕方がない。そのためにいろいろと頑張ろうと思う。11月は出願だし。

 

 

 

そんな感じで各月何かしら予想外なことが起こってた1年でした。

 

 

とにかく成長はしたと思う。お金の管理や、一人で見知らぬ地で生きていくことや、自己責任ということはどういうことかなどを学んだ。

 

 

あとは、これは本当に学んだ中で一番重要なことなんだけど、日本にいたら一生理解できずにいたなって。それは日本での異常がアメリカの正常で、日本の正常がアメリカの異常ってことをバイアスなしで受け止めるってこと。

 

日本でありえない!ダメ!っていわれてることは政治や経済が深く絡まり合って、単なる倫理的理由なんかで説明できない。とにかく歴史が全てにふかーく絡まってる。倫理的にダメだからダメ、なんて相対的にもほどがあるし、倫理観は国によって、宗教によって全て違うからそれを理由に「だからアメリカはおかしい!」なんていうのも視野が狭すぎる。そして逆も然りで、アメリカでありえない!異常って思われてることは日本では普通で、アメリカが自分たちを基準に私たちを批判することは実に馬鹿らしい。

 

 

この目の前で起こっていることをバイアスなしで素直に受け入れるってことを実際にしっかり学んだ。日本にいた時は井の中の蛙で、自分がガチガチの先入観でできてるなんてことすら気づかなかった。日本にいたまんまじゃ、こっちの「本当の暮らし」を経験しないまんまじゃあ、頭の固い人間だったなって思う。それを考えるのが恐ろしくてたまらない。

 

こっちにいたとしても、ちゃんと自分で暮らして、アメリカ人と表面上だけじゃない関係を築かないかぎりこのことには築けない。

 

世の中には本当にいろんな人がいるっていうワードは口にするのは簡単だけど、実際それを受け止めるのは本当に難しい。

 

 

日本は恋しいし、日本の思想哲学が好きだし、とにかく日本大好きだけど、外に出てしまったら日本にはいられないって気づいた。それは外がいいからとかではなく、おそらく私は日本では受け入れられないから。

 

私が外はこうで実は日本が異常だと思ってたことはいろんな政治経済的要因からきているもので別に異常なことではないんだよ!とかいったところで私が異常だと思われて終わるだけ。

 

 

昔までは日本を変えたいとか思ってたけど、日本が変わるのを外から後押しするのが、日本をずっと好きでいられるいい方法かなって思った。

 

笑い話なんていくらでもできるけど、私の本当の主張は通らない気がするからおそらく私は日本ではずっと暮らせない。

 

 

 

まだ1年しか経ってないけど、本当にいろんなことを学んだ。私ももっといろいろ経験した人にとってみればまだまだ井の中の蛙なんだろうけど、とにかく、今の目標は相手のことを理解することと、全てをフラットに考えること。

 

 

私の決断は何も間違っていなかったし、こっちの道を選んでいなかったら私はどうなっていたんだろうと思うと本当に恐ろしい。

 

まあ、そろそろこんなところで1年記念の記録は終わろうと思います!

 

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では!

SNS批判に対して私が思うこと




よくSNS批判する人っていると思うんですよね。



SNSなんか時間の無駄だ!とか、ずーっとSNSやってるのは異常!とか。




でもそれって結構一方的ですよね。




私はまず良い経験は2種類に分けられると思うんですよ。楽しいだけの時間の記憶充実した時間の記憶 の2つに。



まずここでいう充実した時間の定義というのは「何かを達成したときにのみ得られる、楽しいだけでは得られないものを得たとき」ということです。すなわち充実した時間の記憶のは長い間割と詳細まで残っています。なぜなら充実感は無償では、楽しいだけじゃ得られないから。

 

人生における充実感というのは、自分の設定した目標に向かって努力し、達成したときのみ得ることができます。

 

 

そこにおいては達成したことに対しての誇りや自信が身につくので、色んな人に伝えたり、色んな場面で説明したりすると思うんですよね。それによってさらに自分のしたことが明瞭になっていく。(文章化して説明するから自然と整理されていく)

 

それだけでなく、やっぱり苦労したことや、それによって得られたものってなかなか無い経験だから印象に残りやすいんですね。




一方で楽しいだけの時間というのは、お金と時間さえあれば誰でも得られることができます。努力は一切いりません。平日から逃れ、そのときそのときの瞬間を楽しむためにみんなが時間を費やしています。



でも楽しいだけの時間というのは充実した時間とは違い、詳細まで長い間覚えているのはなかなか難しいです。



考えてみてください。ここ1年以上 3年未満の間でした楽しいことで「楽しかった!」以外に細かいことまで覚えていますか?



恐らく詳細まで覚えている人はなかなかいないと思います。もし詳細まで覚えていたら、少なからず努力を注いだ、充実した時間だったと考えていいと思います。




しかしそこで役に立つのがSNSだと私は思います。



SNSは写真とともに文章を載せたりするので日常の何気ないモーメントを記録するにはぴったりのサービスだと思うんですよね。




その時したこと、その時一緒にいた人、その時考えたこと、感じたこと。そういったことはその環境で、その年齢で、さらにその時代でないと考えられなかったりできないことだったりします。

 

自分はこんな毎日、人生を送っている / きたんだと客観的に見ることができます。





私たちのほとんどはSNSを使っている時こんなことは全く考えないと思いますが、やはり振り返った時、思い出させてくれるのは全て記録として残っているものです。




結構な人が経験したことがあるかと思いますが、SNS上の、楽しいだけの時間の記録や、その時考えたことの記録を一年後とかに見返した時「え?これ私が書いたの?」みたいに思う節があると思うんですよ。



SNSに記録してすらそう思うんですから、そんな小さいことなんてなにもしなかったら思い出せすらしないのは当然ですよね。




振り返ることになんの意味があるんだって言う人もいるかもしれませんが、私の親友は「人生の全ては懐かしむためにある」と言っていました。その通りだと思います。

 

だからSNSは無駄ではないと思いますし、むしろSNSは必要だと思います。





しかしここで私が強く主張したいのは「SNSアカウントを消したら全てなくなってしまうような人生は送るな」ということです。




充実した時間の記憶があれば、楽しいだけの時間を多く記録したSNSアカウントがなくなっても、自分はこういう人生を送ってきたんだ!ということを自分に、他人に説明することができます。



しかし充実した時間の記憶がなければ、SNSアカウントがなくなった時に何にも残らなくなってしまいます。なぜなら覚えてられるものが何にもないから。




どちらもこなし、うまくSNSを使っていくのが必要です。



充実した時間がなければやはり、アイデンティティには苦しみますしね。




なので「リア充っぽい楽しいことをし続けたけど、案外なにも残りませんでした」ってことのないように全て全力で頑張るのが理想ですよね。




小さな目標でも、常に何かに向かって達成を目指していくことに重きを置きつつ、同時に毎日の瞬間を楽しみ、その記憶を記録していくことが良いんじゃないかなーっと私は思いますね。




ではそんなところで!

一時帰国することにしました

 

 

 

 

タイトルの通り、今年の冬に一時帰国することにしました。

 

 

理由は成人式のためです。

 

 

私はこれまで、「編入が終わるまでは絶対に帰らない。手ぶらじゃ帰れない。」って思ってました。

 

確かに今もそう思います。胸を張って帰りたかったけど、それと成人式を逃すことを天秤にかけたとき、成人式を逃すことの方が重いと思ったんですよね。

 

 

前この「生きてるうちに、会わないと」でいろいろ書いたんですが、会えるときにあっておかないと、できるときにやっておかないと後で本当に後悔するなって思ったんですよね。

 

allyryugaku.hatenablog.com

 

 

これから先成人式とかでない限りもう一生会わない人がほとんどだと思うし、同窓会があったとしてもみんな揃うことなんて一生ない。そして私も将来日本にいるかは本当にわからない。

 

そう思ったとき、この維持とプライドに任せて、この一度きりの最後のチャンスを逃していいのかって真剣に思った。

 

 

それに飛行機代だって年末年始だからバカにならないし、って。

 

 

でもこれは妥協するべきところじゃないのかなって。

 

 

そんなこんなでママに話して一時帰国することを決意しました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

実際とーーーっても楽しみです!!まず日本食を安く美味しくたべれることと、日々恐怖を感じなくていいことと、全てが日本語で日本人なのが!!あとは、帰国する頃はもう二十歳なので、友達とか家族とかとお酒を飲みながらバーとかで色んな話をするのがこの上なく楽しみです。

 

 

帰っちゃダメだって自分を戒めて帰るっていう選択肢を自ら消してたけど、ふと「あ、そうか。私は帰ろうと思えば日本に帰れるんだ!」って思ってからはなんだか気が楽になりました。

 

 

ってことで今日ちょうどUCバークレーでの一つ目のミッドタームが終わり、久しぶりに課題のない日を満喫しております!

 

課題のない1日は割と本当に2週間ぶり。

 

 

秋のDe Anzaでのクラスもレジスターしたし、準備完了です!!

 

 

そろそろUC出願も近づいてきて(11月末)そわそわし始めてきています!

エッセイの内容も考えつつ、また明日からも頑張っていきたいと思います!!

 

 

ではー!