わたし以外わたしじゃないのは当たり前なのか
『あなた以外があなたではないことを説明して下さい!』
こんな質問をされたら、あなたはなんと答えますか?
「めんどくさいやつ……」
と、大半の人は答えるでしょうね!笑
では、
『あなたは誰ですか?』
と、聞かれたらなんと答えますか?
「カワグチ タダシ。早稲田大学三年。」
「吹奏楽部に所属する高校一年生です。」
「かれこれ15年ラーメン屋店主をしているサカモトです。」
こんな感じの回答が返ってくるかと思います。
でもこれらの説明は自分が自分であることを説明するのに十分な回答なのでしょうか?
吹奏楽部の高校一年生のスズキ マミは全国に何人もいると思いますし、世界中を見渡して、自分とほとんど同じ経歴を持った人がたくさんいた場合、他者との違いを言葉で説明するのはとても難しいことなのかもしれません。
『わたし以外本当にわたしじゃないのか?どこまでがわたしなのか?』
という質問を投げかけた時に、ある人は
「外膜で物質と物質が離れているからそこで区別する」
と答えるかもしれません。
でも分子レベルで世界を見た時そもそもモノに区切りなんてないみたいなことを理系の友達が言っていた気がします。
違ったらごめんなさい。
でも世界は言語で言語で区切られていて、本当に何と何が繋がってて切てるなんてわからないです。
例えば机の上に猫がいるとして、机と猫という言葉がなかった場合、机の上に猫がいる状態を1つのものと考えることになります。極論。
机の上にパソコンがあるという状態も、言語がなければ机とパソコンが違うものであると区切れないどころか、床、家、土など全てが繋がってしまって、世界を区切ることができなくなってしまいます。
文系脳サイドからしても、少なくとも私は世界を区切っているのは言語だと思っているので、本当に何と何が区切られているのかはわかりません。言語は人間が作ったもので、いつも変わり続けているので不十分です。
「じゃあ、自分でコントロールできるところまでを自分と呼ぶ」
と、答える人もいるかもしれません。
でも、考えて見て下さい。
手とか足とかは末端は自分でコントロールできるかもしれませんが、心臓や腸や肝臓はどうでしょう?
自分の定義にもよるので、「脳から指令を出して動いている!」とも言えますが、意図的に内臓をコントロールできますか?
「ダイエット中だから食べた後、腸の動きをいつもより二倍早くして寝よーっと!」
とかできる人いますか???
そして、自分はその他の外部からも影響を受けています。
例えば、私は偏頭痛持ちなので雨が降っている日や曇っている日は頭や目の奥が痛くなります。
ってことは空が私の頭痛をコントロールしてるから空も自分なのか?
という疑問が浮かんできますが、もちろん違いますよね?
そう考えていくと、
自分と他者、自分と外部を区切ることは案外難しくて、私以外が私ではないのを当たり前だというのは難しそうです。
だから私たちは一生アイデンティティに苦しんでいくんですね。
私もUCアプライや就活になったら自分とは一体なんなのか、どうして必要なのか、っていうのを考えなければいけないのでこの議題は深く追求する必要があります。
自分は人と違うユニークな大学生活を送ってきた!!と思っていても案外文字に興してみるとなんら人と変わらない感じになったっていうことが就活では多いですもんね。
今日書いた内容は前半ほとんどが屁理屈だったり極論だったりしましたが、自分がユニークな自分自身という存在であるということを説明し、人に伝えることは簡単に見えて実はめちゃくちゃ難しいということを言いたかったわけでした!
なんか今回はほんとまとまりがなくて前半部分と後半部分でいきなり変わるみたいな感じでしたが、思ったことをつらつら書く備忘録なのでその辺はご勘弁を!
それでは今日はこの辺で!
あでぃおーす!